所在地:長野県下伊那郡天龍村
取材日:2011/03/24(木)
从左岸看大坝湖面上的堤岸
泰阜ダム(989-泰阜ダム/やすおかだむ)をあとにして、天竜川を下流方向に向けて車を進めます。ただ近そうに見えて意外と遠かった記憶があります。
左岸より右岸の取水口スクリーンを望む
発電所へと水を流す取水口。ここから取り入れた水を下流にある発電所へと送水します。
中部電力平岡ダム管理所
平岡ダムは泰阜ダム同様に現在は中部電力所有の発電専用ダムですが、後に矢作水力と統合されることになる天竜川電力が戦前の1938年に着手。その後日本発送電に引き継がれ、戦後の1951年に事業を引き継いだ中部電力が完成させます。建設中は太平洋戦争中ということもあり、負の建設記録を持つダムでもありますが、その話題は後ほど。
从左岸看大坝湖面上的堤岸
クレストゲートはラジアルゲートで全部で16門あります。上流の泰阜ダムに似ています。やはり川幅いっぱいに広がるゲートは壮観ですね。
左岸より天端への入口を望む
天端へは徒歩での通行が可能です。
从左岸看下游的堤坝。
ゲートの色は伝統の?中電レッド。中部電力のダムのゲート色はやっぱりこうでなくちゃ。そしてゲートピアのひとつひとつに階段が作られ、それが対岸まで並んでいる姿も壮観です。
左岸にある構造物
下流側に少し歩きますが、なにか構造物がありました。工事用の何か基礎のようなものに見えます。
从左岸看顶端
そして天端を渡ります。
从顶部看大坝湖
ひっそりとした感じです。ダム湖の色は天竜川独特の色をしていますね。
从右岸看顶端
ゲート巻き上げ機がズラリと並んでいます。個人的には巻き上げ機はダム湖側に設置して欲しいなぁ、なんて思ったりします。そうじゃないと天端から下流が見られず、迫力を味わえないからですが、まぁ自殺防止にもなっているのかもしれません。
右岸よりダム湖側のゲートピアを望む
ダム湖側もスラリと並んだ感をそれなりに体感できます。あと、コンクリートの古い感じも味わえてとても良いです。
从右岸看顶端
右岸まで渡りきりました。
右岸より天端への入口を望む
この「HIRAOKA DAM」のロゴが古くていい感じです。いかにも戦後という感じがします。(いつこのロゴが付けられたかは知りませんが・・・)
右岸よりゲート群を望む
ここで何度もゲート群の写真を撮っていました。それだけに魅力を感じる部分でもあります。川幅いっぱいにゲート、それもラジアルゲートが広がるダムはそれだけでも絵になってとても良いですね。
从右岸看下游的堤坝。
さらに色んな角度、いろんな場所からゲートを狙います。この写真はその最後の写真。夕方近くで西陽がゲートとピアの間から射してきて、その影との対比もカッコイイです。
从左岸往下游看
この先に発電所があります。
石碑「在日殉難中国烈士永垂不朽」
冒頭で「負の建設記録を持つ」と言った理由はこれ。このダムは太平洋戦争中、多くの外国人労働者(主に中国大陸や朝鮮半島)を呼び寄せ、強制労働に従事させました。その環境は劣悪で事故や病気で多くの方が亡くなったそうです。
このダムに限らず当時の日本の各所では、こうした国策がされたいたようですが、とはいえ複雑な気持ちにさせます。お供えの花や千羽鶴を見ると、今でも誰かが見守っているかのようです。
平岡ダム諸元
河流名称 | 天龙川水系,天龙川 |
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目标。 | 发电 |
类型 | 重力式混凝土大坝 |
银行高度 | 62.5 m |
峰会长度 | 258m |
堤坝的体积 | 252,000m3 |
集水区 | 3,650km2 ( 直接:3,650km2 ) |
受水灾影响的地区 | 258ha |
总存储容量 | 42,425,000m3 |
有效存储量 | 4,829,000m3 |
大坝操作员 | 中部电力公司 |
主承包商 | 熊谷谷美 |
发射年份 | 1938. |
竣工年份 | 1951. |
其他设施/观察到的情况
停车场 | ○ | 堤体付近の駐車場は道路脇の空いたスペースに止める感じでしょうか。 |
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厕所 | × | |
(公园 | × | |
公关展览馆 | × | |
钓鱼 | × |
评论。
大田俊明 Syunmyou 在Facebook上喜欢上了这个。
サムネイルが佐久間ダムですが、自動で出てしまったようです。なお、ダムペディアの次回更新は殿ダム試験放流の際のダム巡りを順次放流する予定です。
Atsushi Sasaki 在Facebook上喜欢上了这个。