Date de l'entretien : 29 Jul 2023 (Mon).
森と湖に親しむ旬間イベントで真名川ダムと笹生川ダム、そして雲川ダムを見学して、帰るまでの時間をどうしようかなと考えに考えた結果、石川県のぽっかりと未訪問だったエリアを目指すことにしました。その最初の赤瀬ダムです。ちなみに読み方は「あかせ」ではなく「あかぜ」になります。
本当は福井県勝山市から国道416号を北上して来たかったのですが、途中で通行止であることに気が付き、慌てて国道364号経由で移動しますが、鳴鹿大堰・龍ヶ鼻ダム・我谷ダム・九谷ダムという誘惑に駆られながらもなんとか赤瀬ダムまで辿り着きました。
まずは右岸から
県道沿いには「Saison de familiarisation avec les forêts et les lacs」の幟が立っていました。時間は17時頃。この年の赤瀬ダムは7/22にダム一般開放イベントが行われたようです。国土交通省が公開している資料には「ダム管理棟等の見学」と書かれていますが、堤体内見学なども行われたのか気になるところです。
管理所の玄関にも恐らく毎年掲示されるであろう「もりみず」の看板が設置されていました。
左右岸はとてもきれいな黄緑色になっています。日々丁寧に管理されていることが窺えます。夕日が反射して余計にきれいに見えます。赤瀬ダムの堤高は38mととてもコンパクト。
天端の自動車の通行は可能です。
ダムを模しているのでしょうか?「ル」という文字にも見えます。石川県は住所の小字を「イロハニホヘト」とする場合が多いのですが、管理所の住所は「ハ」でした。また赤色なのはやはりダム名や赤瀬という地名からそうしているのでしょうか。
石川県の石碑に対してとてもとても控えめな施工者による石碑。
水位が低く感じられますが、7月ということもあり洪水調節容量を空けているのだと思います。また、秋から冬にかけては水を貯めない運用だそうです。
右岸側のリムトンネルの扉になります。
Jusqu'au bord supérieur.
上流には広場やキャンプ場や宿泊施設などがあるようです。
農業用取水設備の上部が天端から見えるようになっていますが、半円形の何やら可愛らしい物体がありました。この中身が何なのかちょっとよく分かりませんでした。
同じく農業用取水設備の上部にある「内水位計」です。ただし「内水位」とは通常堤内地の水位の事を言いますが、なぜこの表記なのかこれもよく分かりませんでした。
クレストゲートのワイヤーが横切ってるのはちょっと珍しいと思います。下流を見るのに少し邪魔に感じますが、まぁ珍しいので許しましょう(何目線)
また、下流から堤体下流面を見ることができるようですので、あとで行ってみましょう。
頑丈にコンクリートでできたクレストゲートの操作室ですが、堤体内やコンジットゲートに通じる階段もあるようです。
赤瀬ダムのクレストゲートは2門ありラジアルゲートとなっています。また、左右クレストゲートの中央下部にはコンジットゲートが備えられています。
事業主体 | Préfecture d'Ishikawa (région de Hokuriku) |
type | クレストラジアルゲート |
Diamètre net intervalle x hauteur de la porte | 9mx8.3m 2門 |
vitesse d'ouverture et de fermeture | 0,3 m/min |
poids de la porte | 32.5t |
竣功 | 昭和52年8月 |
fabrication | 川崎重工業株式会社 |
Sur la rive gauche.
県営らしく至ってシンプルです。ちなみに左右両岸の山に展望台はありません。
右岸と同じようにリムトンネルの出入口に扉が設置されています。
左岸の上流側親柱に当時の石川県知事中西陽一揮毫による赤瀬ダムの銘板が嵌められていました。中西陽一は在職期間31年と全国の知事の中でもっとも最長で、2024年現在もこの記録は破られていないそうです。8選という記録もタイ記録だそうです。また、8期目の在任中に亡くなっています。
赤瀬ダムから東に山の尾根を2つほど超えた先に「大日川ダム」がありますが、赤瀬ダムの着手から遡ること16年前の昭和25年(1950年)にこの大日川ダム建設のための調査が始まります。時の石川県知事は柴野和喜夫。
大日川ダムでは小松市ウェブサイトで公開されている第10巻「図説こまつの歴史」によれば、『事業遂行側の石川県等が目的・方法を変更したため、地域とのずれが大きく、時として紛糾をもたらした』『分水と大規模発電・村民の受益者負担や水没等、この負担軽減として防災目的を追加するなど、国・県・北電・地元との調整に手こずる』とあります。
対して赤瀬ダムでは『昭和四十三年十月四日、中西陽一知事が赤瀬町を訪問。住民は石川県知事直々に驚きをもって迎え、会場の上座に着くように勧めたが、「今日は皆様にお願いがあって参ったのでここで結構です」として話に入った』とあり、さらに建設条件として『補償対象の最も少ない地、赤瀬町の上流1kmにダム堰堤を定めた。このため、集団移住もなく、墓地の移動・道路の改修等がなされた』とあり、揉めに揉めた大日川ダムとはかなり対照的です。
このエピソードからも中西陽一知事がかなり善政を行っていたことが手に取るようにわかります。
そんな中西知事のエピソードがすばらしくうっかり字数が増えてしまいます。
さて、赤瀬ダム。左岸から堤体上流面を見ようと試みますが、夏らしく草木の背丈がすごくて全然見えません💦
もう少し下流側から見えると良いのですが道がないのと、こちらも草木が生い茂ってこれが限界でした。
左岸側には慰霊碑がありますので手を合わせましょう🙏
左岸には艇庫があり、インクラインも備えられています。艇庫から出ている鉄骨はクレーンのレールのようです。
En aval.
赤瀬ダムの下流にやって来ました。こちら側は草が生い茂ってコンジットゲートや減勢工などがはっきり見えません。。。
なんとか眺望の良いところを探しますが、隙間を狙うしかありません🤣
ちなみに左側に2つ青い水門が見えていますが、農業用水の水門のようです。
草むらの隙間からなんとかコンジットゲートが見えました。ちょうど放流していました。
というとても平和裏に建設が進められた赤瀬ダムでした。
赤瀬ダム諸元
Emplacement. | 石川県小松市赤瀬町 |
Nom de la rivière | 梯川水系梯川 |
Objectif. | F (lutte contre les inondations, prévention des catastrophes agricoles) N (eau non spécifiée, eau pour l'entretien des rivières) |
type | G(barrage en béton alimenté par gravité) |
hauteur de la banque | 38 m. |
Longueur du sommet | 180m |
volume de la digue | 77,000㎥ |
zone de chalandise | 40.6k㎡ |
zone sinistrée par les inondations | 54ha |
Capacité totale de stockage | 6,000,000㎥ |
capacité de stockage effective | 5,200,000㎥ |
opérateur du barrage | Préfecture d'Ishikawa (région de Hokuriku) |
principal contractant | 飛島建設・酒井工業 |
année de lancement | 1968. |
année d'achèvement (d'un projet de construction) | 1978. |
nom d'un lac endigué | 赤瀬湖 |
Autres installations/observations
parc de stationnement | ○ |
toilettes | ○ |
parc (public) | ○ |
Salle d'exposition PR | × |
pêche | × |
plate-forme panoramique | × |
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