Barrages de la préfecture de Niigata

0775 Barrage de Oishi/Barrage de Oishi

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0775 Barrage de Oishi/Barrage de Oishi Barrages de la préfecture de Niigata
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Date de l'entretien : 26/05/2013 (dimanche)

胎内第二ダムを訪問し、次に訪れたのがこの大石ダムです。当時県道272号が通行止で已む無く国道290号と113号を迂回に利用しましたが、かなりの遠回りになってしまいました。

大石ダムですが、国土交通省直轄のダムで洪水調節と発電を担っている重力式コンクリートダムです。ちなみに北陸地方建設局(現:北陸地方整備局)の管轄で最初に造られた直轄ダムだそうです。

下流左岸の駐車場より堤体を望む

直轄ダムということもあり駐車場が広く整備されています。

下流左岸の駐車場より堤体を望む
下流左岸の駐車場より堤体を望む

下流左岸の駐車場の端から堤体を望む

左岸側が木で隠れちゃってるのはちょっと残念ですが、ここからさらに堤体に近づくこともできます。放流設備はクレストゲートに赤いラジアルゲート(幅7.0mx高さ10.6m)が2門、porte de conduit(幅3.7mx高さ4.6m)が1門、ホロージェットバルブ(Φ600mm)」が1条という構成です。

下流左岸の駐車場の端から堤体を望む
下流左岸の駐車場の端から堤体を望む

大石ダム周辺総合案内図

駐車場だけでなく大石ダム周辺はかなり整備されていて、公園やキャンプ場などもあります。個人的に気になったのは、ちょっとこの写真では見えにくいかもしれませんが、左右両岸に展望台があることでしょうか。

ダムに展望台が用意されていることすら稀で、あってもせいぜい左右どちらかにしか用意されていない展望台が左右両岸にあるのです。あとは眺望がいかほどなのかで展望台としての真価が問われますので、後ほど行ってみることにしました。

大石ダム周辺総合案内図
大石ダム周辺総合案内図

左岸下流の公園より堤体を望む

下流もかなり堤体に近づけられるのも好ポイントですね。もうちょっと減勢工近くまで寄れるともっと良いのですが、安全設計上、これが限界だったのでしょうか。

写真中央よりやや右寄り下部にある白い管のようなものは、発電用の水圧鉄管でダムから下流1kmにある荒川水力電気(株)大石発電所に送水され、最大15.0㎥の水を使用して最大10,900kWの発電をしています。

左岸下流の公園より堤体を望む
左岸下流の公園より堤体を望む

関川村からの感謝の句碑

「前山の涼しき影を水の上」――― 昭和42年の羽越集中豪雨では多大な犠牲が出てしまった災害でした。これを景気に建設されたのが大石ダムですが、関川村の村民にとっては悲願だったようで、その感謝を建設関係者に伝える句碑です。

句を詠んだ石塚友二氏は新潟県出身の俳人協会名誉会員なのだそうです。

関川村からの感謝の句碑
関川村からの感謝の歌碑

この石碑の裏には大石ダム建設とこの句碑建立の経緯が刻まれています。

 飯豊朝日連峰に源を発する清き流れの荒川は、ときに氾濫をおこし住民を悩ましてきた。なかでも昭和四十二年八月二十八日の羽越集中豪雨は、三十四名の人命を奪い、公私施設に壊滅的打撃を与え、その被害額は実に二百億円に達した為に、国の治水計画は大幅な流量改定となり、その一環としてダムによる洪水調節を行うことになった。
 大石ダムはその第一号として、昭和四十七年に着工。百五十九億円の拒否が投ぜられてこのほど見事に完成したものである。今後流域の安全確保と、産業振興が約束されることはまことに喜びに堪えない。
 この工事にあたり、鋭意努力された建設省関係者並びに施工業者に深甚なる敬意を表し、併せて、土地提供をはじめ諸般に亘り、絶大なる協力をされた大石部落ほか地元の方々に衷心より感謝を申し上げたい。
 ここに大石ダム完工を記念して経緯を刻み、関係者の名をとどめると共に、更に関川村の限りなき発展をねがってこの句碑を建立する。

 昭和五十三年七月 関川村

現地石碑(原文を一部当サイトにて読みやすく改変)

堤体の上に環水平アーク

下流の公園から天端レベルに行こうとクルマに戻るときにふと堤体を見ると、上空に虹のようなものが架かっていました。ダム湖に噴水が出ていてそれで虹が見えるのかな?と思ったのですが、よく見るとアーチの向きが逆で、あとで調べると環水平アークなるものだったようです。(写真は環水平アークが見えやすいように加工しています)

堤体の上に環水平アーク
堤体の上に環水平アーク

右岸天端レベルの石碑

下流からクルマで天端レベルまで移動しました。こちらには大石ダム竣工記念碑が建てられています。石碑の奥にも大石ダム建設の経緯が羽越豪雨とともに書かれた看板が建てられています。

右岸天端レベルの石碑
右岸天端レベルの石碑

 飯豊朝日連峰に源を発し、関川村、荒川町、神林村を縦断して日本海へ注ぐ荒川は、その名の示すとおり極めて河状が荒く、有史以来度重なる災害をもたらし沿岸住民はもとより為政者の悩みの種であり、常に苦心を重ねてきたところである。
 特に昭和四十二年八月の羽越水害は古今未曾有の大災害となり、尊い人名七十七柱を奪うと共に被害状況は言語に絶し、総額一千数百億円に及んだ。荒川郷総合開発促進協議会では政府調査団をはじめ、衆参両院災害対策本部調査団並びに自由民主党調査団等、矢つぎ早に訪れた調査団に二度と災害を繰り返さないよう荒川の抜本的な大改修を陳情した結果、県知事殿をはじめ新潟県選出衆参両院議員のお力添えを得て荒川の改修は国の責任で実施していただくことになり、同年十月一日に現地荒川町に建設省羽越工事事務所が新設され、荒川並びに国道一一三号線の改良復旧に着手された。爾来地域住民の要望を汲み史上稀な抜本的大改修が早期に実施されるとともに、新荒川取水堰の工事は近代技術の粋を尽くして見事に完成され、今時以上の大洪水にも耐える立派な施設として生まれ変わったのである。一方国道一一三号線も順調に改良が進み、関川バイパス等見違えるばかりになった。又上流山形県内をはじめとして数多くの支流に砂防ダムの建設が行われると共に、この大石ダムは荒川郷を水害から守るため、當協議会の要請により建設省が昭和四十七年五月から建設工事に着手。延べ十一年の歳月と工費百五十九億円を費やして、昭和五十三年八月に竣工したものである。更に本年度から山形県小国町地内に建設が予定されている治水ダムの調査を実施中であり、これらのダムが完成すれば沿岸住民は二度と災害に悩まされる心配がなくなり、その完成が待たれている。ここに羽越水害二十周年を迎え、改めて治水事業の重要性を認識し、記念事業の一環としてこの地に記念碑を建立して災禍犠牲者の冥福を祈ると共に、荒川郷の復興に関係された各位の偉業を後世に伝えるものである。
 昭和六十二年八月吉日
   荒川郷総合開発促進協議会 撰
   金子好(号如雲) 書

「大石ダム竣工記念碑」現地石碑より

「山形県小国町地内に建設が予定されている治水ダム」とは横川ダムのことですね。下流の句碑といい、この石碑といい、いかに大石ダムが現地の方々にとって悲願だったのか、その想いがひしひしと伝わってきますね。

大石ダム石碑

さらにもう一つ石碑が建てられています。

大石ダム石碑
大石ダム石碑

右岸より堤体下流面を望む

下流直下、もうちょっと気軽に行けると良いのですが、森と湖に親しむ旬間などの見学会で入ることができるようですので機会があればぜひ参加してみたいですね。放流していますが、利水放流管(ホロージェットバルブ)からの放流です。

右岸より堤体下流面を望む
右岸より堤体下流面を望む

大石ダム管理支所

直轄ダムだけあって大きな管理所です。

大石ダム管理支所
大石ダム管理支所

インフォメーションハウス

右岸にはPR展示館としてインフォーメーションハウスが併設されています。

インフォメーションハウス
インフォメーションハウス

羽越水害パネル展

常設だと思いますが、羽越水害のパネルが展示されていました。

羽越水害パネル展
羽越水害パネル展

大石ダムの模型

堤体半分がスケルトンになっていて内部が分かりやすくなっています。かなり精巧につくられた模型です。ちなみに模型の奥の壁にある黒い物体は現在の水位を標高で表したものでこのときは183.59mでした。

大石ダムの模型
大石ダムの模型

Vue de l'extrémité supérieure depuis la rive droite

天端は一般車両の通行が禁じられています。

Vue de l'extrémité supérieure depuis la rive droite
Vue de l'extrémité supérieure depuis la rive droite

右岸より堤体上流面とダム湖を望む

この日はかなり水位が高い状態でした。タイミングが合えば融雪放流をしていたかもしれませんね。この時の水位が前述の通りEL.183.59mですが、常時満水位は184.0mということでもうちょっとでしたね。

右岸より堤体上流面とダム湖を望む
右岸より堤体上流面とダム湖を望む

天端のゲート巻き上げ機室

コンパクトなゲート巻き上げ機室です。

天端のゲート巻き上げ機室
天端のゲート巻き上げ機室

Vue du lac de barrage depuis le sommet

大石ダムは6/16~9/30が洪水期間として設定され、その間は洪水期制限水位のEL.155mまで水位を下げるため、通常ならこの写真で言う水面より下の岸辺は土がむき出しになって茶色く見えるのですが、大石ダムではその土に植物が生えることで「グリーンベルト」が出現するという珍しいダムなのだそうです。7月以降から9月まで見られる光景ですので、またそのタイミングで訪問したいものですね。

Vue du lac de barrage depuis le sommet
Vue du lac de barrage depuis le sommet

天端よりクレストゲート越しに下流を望む

クレストゲートは近くで見ると赤色というよりも朱色に近いですね。あとこうしてみると減勢工の幅がかなり狭く感じます。

天端よりクレストゲート越しに下流を望む
天端よりクレストゲート越しに下流を望む

荒川水力電気株式会社大石発電所取水口

荒川水力電気株式会社は東北電力グループですが、東北電力株式会社と日本軽金属株式会社との共同出資により設立された会社で、所有している水力発電所はこの大石発電所と岩船ダムの岩船発電所の2つだけなのだそうです。

荒川水力電気株式会社大石発電所取水口
荒川水力電気株式会社大石発電所取水口

取水口を別角度から

上の写真とは反対側に回り込んでの写真です。クレストゲートの朱色よりは赤く感じますね。

取水口を別角度から
取水口を別角度から

取水ゲートのスペックは以下のとおりです。

nom表層取水ゲート取水口制水ゲート
type4段式鋼製ローラゲート鋼製ローラゲート バイパスバルブ付
純径間3.600m2.700m
流入口高ゲート高32.000m3.200m
vitesse d'ouverture et de fermeture0,3 m/min0,3 m/min
揚程25.400m38.000m
nombre de portes(une) porte(une) porte

製作年月:1997年12月
製作:株式会社丸島水門製作所

天端より水圧鉄管を望む

発電所の位置関係を見ると、堤体から伸びる水圧鉄管は真っ直ぐですが、すぐに左(西)に折れ曲がっているようです。

天端より水圧鉄管を望む
天端より水圧鉄管を望む

左岸のモニュメント

手前には「山河平安」と書かれたモニュメントが設置されています。ほんと山も川も平安であることが一番ですね。右手奥にも記念碑がありますが、なんの記念碑だったか未確認です。

左岸のモニュメント
左岸のモニュメント

Vue de l'extrémité supérieure depuis la rive gauche

右岸のアバット上部は展望台になっていますが、バッチャープラント跡地を利用しているように思われます。(未確認)

Vue de l'extrémité supérieure depuis la rive gauche
Vue de l'extrémité supérieure depuis la rive gauche

左岸より堤体下流面を望む

こうして見ると右岸の法面の施工がすごいですね。しっかりと固められている感があります。草は生えていますが大きな木が生えていないことは展望台からの眺望を守るための大きなメリットとなります。

左岸より堤体下流面を望む
左岸より堤体下流面を望む

左岸の少し下流側から堤体下流面を望む

天端から少し下流に移動しました。色んなアングルから堤体が見られるのも好ポイントですね。

左岸の少し下流側から堤体下流面を望む
左岸の少し下流側から堤体下流面を望む

左岸展望台に至る途上で堤体下流面を望む

徐々に標高が上がるにつれて、息も上がってきますが(運動不足)、景色が良くてテンションも上がってきます。

左岸展望台に至る途上で堤体下流面を望む
左岸展望台に至る途上で堤体下流面を望む

guet de la rive gauche

やっと左岸展望台に到着しました。東屋があったりしてかなり整備された展望台です。左にある看板は関川村の伝説として伝わる大里峠おりとうげの大蛇のお話が方言で掲載されています。

guet de la rive gauche
guet de la rive gauche

左岸展望台より堤体を望む

もうちょっと手前の木が少ないと良いのですが、それでも堤体のほとんどがしっかりと確認できる良い展望台です。水を貯めている感もしっかりと出ています。これは絶対登っておくべき展望台です。

左岸展望台より堤体を望む
左岸展望台より堤体を望む

西俣トンネルポータル

西俣トンネルは左岸の湖岸道路に出られるトンネルです。天端からそのままこのトンネルに繋がっているのですが、もしかしてリムトンネルも兼ねているのでしょうか?

ポータルは前述の公園にもあった大蛇の伝説のイラストが描かれています。そしてトンネル内には…

西俣トンネルポータル
西俣トンネルポータル

大したもん蛇

大石ダムのパンフレットには「大したもん蛇モニュメント」となっているのですが、わらと竹でつくられた大蛇です。関川村では年に1度「えちごせきかわ大したもん蛇まつり」が行われ、大里峠伝説をもとにしたお祭りなのだそうです。

長さ82.8m・太さ1.2m・重さ2tという大きさの大蛇は、世界一長いわらと竹で作られた蛇ということで2001年にギネスに認定されています。その頭部だけがこのトンネルに安置?されています。他のトンネル内の写真を見ると胴体がもっと続いているようなのですが、もしかしたら劣化して短くなってしまったのかもしれません。

そしてトンネル内が真っ暗ですが、入口にスイッチがありそれを押すと10分間点灯するそうです。しかし先が見えないので10分過ぎたらどうしよう…という不安な気持ちに😓

大したもん蛇
大したもん蛇

西俣トンネル内部

一人寂しくとぼとぼとトンネルを進みます。で、出口が見えない💦大蛇のお腹の中にいるのかもしれません。

西俣トンネル内部
西俣トンネル内部

出口付近にある谷

トンネルをようやく抜けると右手に小さな谷があり、そこに雪が溜まっていました。5月も末だというのに、よほど積雪量が多いエリアなのでしょう。

出口付近にある谷
出口付近にある谷

左岸の湖岸道路より堤体上流面を望む

思ったよりも堤体から離れてしまったようです。しかし満水状態なのがよく分かる写真だと思います。

左岸の湖岸道路より堤体上流面を望む
左岸の湖岸道路より堤体上流面を望む

大したもん蛇のバックショット

来た道を引き返してトンネルの入口に戻ってきました。大蛇の後ろ姿…ちょっと寂しい感じもしますね😓

大したもん蛇のバックショット
大したもん蛇のバックショット

右岸展望台

最後に右岸の展望台にやって来ました。こちらも左岸の展望台と同様に東屋などがあり整備されています。また、建設中に殉職された方の慰霊碑は写真右手にあります。ここでも環水平アークが見えますね。

右岸展望台
右岸展望台

バッチャープラントの跡?

右岸展望台の南端にはこんなコンクリートの遺構が残っています。バッチャープラントの跡でしょうか。

バッチャープラントの跡?
バッチャープラントの跡?

右岸展望台より堤体を望む

そして最後に右岸展望台から望む大石ダム!この眺望!素晴らしいとしか言いようがありません。

右岸展望台より堤体を望む
右岸展望台より堤体を望む

左右両岸に展望台があるだけでも珍しいのに、両方ともきちんと整備されていて、下流側の堤体が見られるほど眺望も良好で、水を貯めている感もバッチリ。見どころがとても多いダムですので、見学時間をたっぷり取っていただくことをオススメします!(参考までにこのときは1時間30分ぐらいの見学時間でした)

大石ダム諸元

Emplacement.新潟県岩船郡関川村大字大石地先
Nom de la rivière荒川水系大石川
Objectif.F (lutte contre les inondations, prévention des catastrophes agricoles)
P (production d'électricité)
typeG(barrage en béton alimenté par gravité)
hauteur de la banque87 m
Longueur du sommet243.5m
volume de la digue400,000㎥
zone de chalandise69.8km2
zone sinistrée par les inondations110ha
Capacité totale de stockage22,800,000㎥
capacité de stockage effective17,800,000㎥
opérateur du barrage北陸地方建設局
principal contractant前田建設工業・佐藤工業
année de lancement1970.
année d'achèvement (d'un projet de construction)1978.
nom d'un lac endiguéおおいし湖

Autres installations/observations

parc de stationnement
toilettes
parc (public)
Salle d'exposition PR
pêche○○ (sauf dans les zones de non-prélèvement)

大石ダム周辺の地図

大石ダム周辺の天気

Logement réel.

*Il s'agissait du Tsukioka New Hotel Kangetsu, mais en avril 2018, il a rejoint le groupe Hotel Area One et a changé de nom.

Cet article a été écrit par.
tibia

Passionné de barrages qui aime Momosuke Fukuzawa / Administrateur de Dammedia et de Dam News / Dammeister certifié (01-018) de l'Association japonaise des barrages / A commencé à vendre des articles de caution de décharge.https://shop.dampedia.com

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