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福澤桃介

福澤桃介ダム入門
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読み方 : ふくざわももすけ(とうすけ)
別表記 : 福沢桃介
旧姓:岩崎桃介

福澤桃介とは、明治末期から昭和初期にかけて活躍した実業家。主に日本の電力業界を中心に活動し「日本の電力王」との異名を持つ。福澤桃介、旧姓岩崎桃介は武蔵国横見郡荒子村、現在の埼玉県比企郡吉見町にて慶應4年6月25日(新暦:1868年8月13日)に生まれ、幼少期は現在の川越市で過ごし、貧しい家庭であった神童と言われるほど学問に秀でていたという。

16歳になると上京して福澤諭吉が創立した慶応義塾に入学。運動が多少得意であった桃介は在学中の運動会で福澤家の目に留まり、諭吉の次女房の結婚相手の候補に選ばれる。この運動会では前面に大きくライオンが描かれた白シャツを着て走るなど、とにかく目立つのが好きな青年であったようだ。

またこの頃、乗馬をしていた当時14歳の貞奴(日本初の女優。後の川上貞奴)が乗馬中に野犬に襲われ、野犬を桃介が追い払って助けたというエピソードがある。これが桃介と貞奴の最初の出会いとされる。貞奴は後にオッペケペー節の川上音二郎と結婚し、音次郎の死後、2人は愛人関係にあったとされる文献もあるが、実際にはビジネスパートナーであったという。

その後、福澤家が卒業後の留学費用を提供する約束と房との結婚を前提に明治19年(1886)12月17日に至り婿養子となり福澤桃介となる。その3年後の明治22年(1889)にアメリカ留学から帰国し12月に房と結婚する。

経歴は下記表に纏めた。

昭和13年(1938)2月15日に東京渋谷の本邸にて没した。享年69歳。

福澤桃介の華麗なる職務経歴書

明治22年(1889)12月北海道炭礦鉄道(後の北海道炭礦汽船)、入社
明治26年(1893)4月北海道炭礦鉄道を免職
同年6月北海道炭礦鉄道を重役付雇員として復帰
明治27年(1894)夏結核を患い、これを機に株式投資に目覚め多額の財を得る
明治28年(1895)10月北海道炭礦鉄道を退職
明治31年(1898)9月王子製紙取締役に選任
明治32年(1899)丸三商店(丸三商会)を設立
明治33年(1900)王子製紙取締役を辞任
明治34年(1901)7月北海道炭礦鉄道を重役付支配人待遇で復帰
明治39年(1906)北海道炭礦鉄道社長堀基より農場譲受(福澤農場)
同年10月北海道炭礦鉄道を辞職
同年月帝国肥料を設立、取締役に就任
同年月カブトビールの丸三麦酒を買収、日本第一麦酒に改称し取締役に就任
明治40年(1907)1月日本第一麦酒を辞職
瀬戸鉱山株式会社を設立し専務就任
日清紡績株式会社設立、初代専務取締役に就任
同年2月東京袋織物の監査役に就任
明治41年(1908)7月豊橋電気株式会社取締役就任
同年10月大株主であった広滝水力電気株式会社が開業
明治42年(1909)豊橋電気社長就任
同年1月東京袋織物の監査役から取締役に就任
同年7月東武銀行(旧 葛飾銀行)取締役に就任
名古屋電灯株式会社の顧問に就任
同年8月東京袋織物は東京製布に改称
福博電気軌道株式会社を設立し社長に就任
同年10月名古屋電灯相談役就任
明治43年(1910)1月名古屋電灯取締役就任
同年4月日清紡績専務取締役辞任
日本瓦斯株式会社設立、社長就任
同年5月名古屋電灯常務取締役就任
下関瓦斯を設立、初代社長に就任
熊本瓦斯を設立、取締役に就任
同年7月新潟瓦斯・鹿児島瓦斯を設立、初代社長に就任
同年9月姫路瓦斯を設立、取締役に就任
九州電気株式会社を設立、取締役に就任
同年10月大牟田瓦斯を設立、初代社長に就任
同年11月名古屋電灯取締役転任
明治44年(1911)3月四国水力電気(旧 讃岐電気)社長就任
松山電気軌道取締役就任
同年4月和歌山瓦斯を設立、初代社長に就任
同年5月浜田電気設立、取締役社長に就任
同年6月東京製布、会社解散
野田電気設立、取締役社長に就任
同年7月東武銀行取締役を辞任
同年10月唐津軌道を設立、取締役に就任
同年11月博多電灯・福博電気軌道が合併し博多電灯軌道設立、相談役に就任
明治45年(1912)豊橋電気専務取締役転任
同年6月九州電気(旧 広滝水力電気)・博多電灯軌道が合併し九州電灯鉄道株式会社発足。相談役に就任
呉瓦斯を設立、取締役に就任
同年10月佐世保電気株式会社を設立、社長に就任
今治瓦斯を設立、取締役に就任
大正2年(1913)1月名古屋電灯常務取締役再任
同年5月第11回衆議院議員総選挙に千葉県郡部選挙区から出馬しトップ当選。大正3年(1914)12月まで務める
同年6月新潟瓦斯・千葉瓦斯を統合し合同瓦斯(現 北陸ガス)を設立、社長就任
同年8月九州・山口県のガス会社10社を統合し西部合同瓦斯(現 西部ガス)を設立、社長就任
同年12月松山電気軌道、取締役引責辞任
大正3年(1914)12月名古屋電灯社長昇任
西部合同瓦斯の社長職を譲位し相談役に転任
同年8月愛知電気鉄道(現 名古屋鉄道<名鉄>)の社長に就任
大正4年(1915)瀬戸鉱山売却
大正5年(1916)6月野田電気解散
同年8月浜田電気退任
株式会社電気製鋼所を設立、相談役に就任
大正6年(1917)6月四国水力電気辞任
愛知電気鉄道退任
同年9月電気製鋼所の社長に就任
大正7年(1918)豊橋電気社長再就任
同年4月東海電極製造株式会社を設立し相談役就任
同年9月木曽電気製鉄株式会社を設立し社長就任
大正8年(1919)3月矢作水力株式会社を設立、相談役に就任
同年6月白山水力株式会社を設立、相談役に就任
同年9月名古屋セメント株式会社を設立、取締役に就任
東海道電気鉄道を設立し社長就任
同年11月大阪送電株式会社を設立し社長就任
大正10年(1921)2月木曽川電気興業・大阪送電・日本水力が合併し大同電力株式会社が発足し社長就任
同年3月濃飛電機株式会社を設立、相談役に就任
同年7月尾三電力株式会社を設立、相談役に就任
同年10月名古屋電灯と関西水力電気が合併し関西電気を設立、社長就任
同年12月関西電気社長を退任し、九州電灯鉄道と合併、相談役に転任
大正11年(1922)8月名古屋セメント・佐賀セメントを豊国セメントに合併、社長就任
大正14年(1925)新潟瓦斯退任
大正15年(1926)帝国劇場株式会社の会長に就任
昭和3年(1928)3月帝国劇場の会長職を譲位し名誉顧問就任
同年6月大同電力社長辞任
同年9月勲三等旭日中綬章を受章
同年11月豊国セメント、木曽川電力社長辞任
同年12月四国水力電気取締役辞任
昭和5年(1930)11月豊国セメント社長再就任
昭和7年(1932)豊国セメント社長辞任
福澤桃介の華麗なる職務経歴書

福澤桃介の聖地

聖地巡礼の参考になればと福澤桃介ゆかりの地をリストアップした。細かい部分を挙げればきりがないため代表的なものをピックアップしている。

生誕地

生家のあった埼玉県吉見町のには生誕の地の看板が県道33号沿いに設置されている。またこの集落は桃介の旧姓である岩崎姓が多い。(Googleマップ

電力王福沢桃介生誕の地
電力王福沢桃介生誕の地

福沢桃介生誕地の碑

実際の生家は県道より奥に入った場所にあったようで小さな石碑が建てられている。隣接する墓石に岩崎の名が彫られているが実家のものかは不明。(Googleマップ

福沢桃介生誕地の碑
福沢桃介生誕地の碑

下村堰堤近くにある福澤桃介先生寿像

この銅像は昭和5年に彫刻家の新田藤太郎によって8体作られたが太平洋戦争の際に5体が金属供出され、中部電力上村発電所・関西電力祖山発電所・北陸電力吉野谷発電所の3体が残った。昭和43年6月の福沢桃介生誕百年祭の際に中部電力人材開発センターに移設され、その際に3体が複製され上村発電所と南向発電所に設置、残り1体は四国電力に寄贈された。その後、上村発電所に設置されていたものを下村堰堤近く(上矢作振興事務所の敷地内)に平成8年12月に中部電力創立45周年記念事業として移設されている。(Googleマップ

下村堰堤近くにある福澤桃介先生寿像
下村堰堤近くにある福澤桃介先生寿像

南向発電所の福澤桃介先生寿像

前述の彫刻家・新田藤太郎によって8体作られた銅像のうちの1体。(Googleマップ

南向発電所の福澤桃介先生寿像
南向発電所の福澤桃介先生寿像

恵那峡さざなみ公園の電力王福沢桃介翁像

大井ダム上流面を望む恵那峡さざなみ公園の高台に川上貞奴のレリーフとともに設置されている。しっかりと大井ダムを見つめる桃介の姿がとても印象的である。(Googleマップ

恵那峡さざなみ公園の電力王福沢桃介翁像
恵那峡さざなみ公園の電力王福沢桃介翁像

福沢桃介記念館

発電所建設の指揮を執るために大正8年に建てられた桃介の別荘を記念館として公開している。利用料金は大人500円(隣接する山の歴史館とセット)。開館時間は9:30~16:30だが、冬期(12月1日~3月中旬)と水曜が休館日となっているため注意が必要だ。(Googleマップ

福沢桃介記念館
福沢桃介記念館

桃介橋

大正11年(1922)に木曽川に架けられた吊橋だが、もともとは読書発電所の建設資材運搬用に架けられたものであり、橋の中央にはトロッコのレールが敷かれた痕跡の一部が残されている。昭和25年(1950)に当時の読書村に寄贈され村道となるも、昭和53年(1978)に老朽化により廃橋の危機に。その後の平成5年(1993)にふるさと創生事業として復元された。読書発電所施設の一部として国の重要文化財となっており、近代化遺産にも認定されている。(Googleマップ

桃介橋
桃介橋

橋はコストや建設時の手間を省くため、通常は川幅の狭いところに距離が短くなるよう架けられるものだが、この桃介橋はわざわざ川幅の広い場所にそれも川の流れる方向に対して垂直方向ではなく斜めに架けられている。

これは南木曽駅まで資材を運搬するのに標高差を補うためであるという理由もあるが、当時の電力会社はまさにベンチャー企業そのもので、その精神と技術力の高さを誇るためだったという理由の方が個人的には桃介のエピソードとして興味深い。

柿其水路橋

読書発電所への導水路の一部で柿其川を渡る鉄筋コンクリート造の2連アーチ橋。読書発電所・桃介橋とともに国の重要文化財であり近代化遺産となっている。(Googleマップ

柿其水路橋
柿其水路橋

文化のみち二葉館 名古屋市旧川上貞奴邸

日本の女優第一号とも言われる川上貞奴とビジネスパートナーでもあった福澤桃介が共に住んでいた建物。大正9年頃に名古屋市東区東二葉町18番(現在の東区白壁3丁目付近。白壁地区は名古屋有数の高級住宅街)に建てられたが、現在の東区橦木町3丁目23番地に移築復元された。桃介が使っていたカバンなども展示されている。入館料は大人200円。開館時間は10:00~17:00。休館日は月曜日(祝日の場合はその翌日)と12月29日~1月3日。(Googleマップ

文化のみち二葉館 名古屋市旧川上貞奴邸
文化のみち二葉館 名古屋市旧川上貞奴邸

貞照寺

昭和8年(1933)、川上貞奴が私財を投じて建立した寺。建立当初は金剛山桃光院貞照寺という名称で院名は桃介に由来。本堂の周囲には貞奴の生涯を宗教的に表現した木彫りのレリーフが掲げられている。特に大井ダムのレリーフは必見。本堂内には貞奴はもちろん桃介の位牌も安置されている。本堂の北には貞奴の霊廟があり、その正面に観音像が建てられているが大井ダムの方角を見ているとされ、いかに貞奴が桃介や大井ダム建設が思い出深いものだったのかを物語っている。(Googleマップ

貞照寺
貞照寺

また、国道を挟んで反対側には旧川上貞奴別邸の萬松園がある。一般企業による結婚式場となっているため通常は立ち入りができないが、月2回見学会が行われている。国指定重要文化財。

日泰寺舎利殿の福澤桃介君追憶碑(福澤桃介先生之碑)

名古屋市千種区にある日泰寺舎利殿の入口の東側に「福澤桃介君追憶碑(福澤桃介先生之碑)」が立てられている。石碑には桃介の生涯と共に中部経済を発展させた功績を讃えた内容となっている。(Googleマップ

日泰寺舎利殿の福澤桃介先生之碑
日泰寺舎利殿の福澤桃介先生之碑

福澤桃介君は天縦の奇才にして其国家社会に貢献したる事業は卓抜広大明治大正の経済史に特筆大書せらるべきものなり君は埼玉県人にして慶應義塾に学び其前半生は東京を舞台として飛揚したるに係らず後半生の気力精神は全く中部日本に向かって費やされ君の遺業によりて恵沢を受くることもっとも多きは中部日本なるは不思議の遭遇と云わざる可からず福沢君が中部日本に関心を懐くに至りしは明治四十二年名古屋電灯会社に関係したるに始まる当時の電灯会社は灯火の供給を以て主要なる営業とし且つ主として火力に依頼せしが福沢君はまず方針を一変し或は電力に或は電熱に電力利用の境域を拡大するに勉め一転して広く化学工業を誘起し而して之に応じて電源を増大せんことを図り各所に水路を開き堰堤を築きて水力の利用に勉め此の如くして増大したる電力を送致するがために大送電線を作り再転して幾他の電力会社を増設す尾張信濃の渓谷を千万年間黙々として唖流し茫々として盲走したる河水は之より灯火電熱となりて幾百万の家と戸々に光明と温暖を与え電力となりて大小幾百千の工業を誘起するに至る斯くて春水の四沢に満つるが如く名古屋の人口は増加して日本第三の都会となり後年此の電力は更に大阪地方に侵入して其の工業に至大なる衝動を興ふるに至る数十年前誰か信尾の渓水に此の如き偉力を蔵するを知らんや唯だ福沢君の慧眼謄気のみ能く此唖流盲走の水を駆使して電力文明を開展す中部日本に於て今福澤君を追憶して其の鴻業を礼讃するの声盛なるもの偶然にあらざるなり茲に下出民義君の唱道により福澤君の旧友が力を合して碑を建て君を記念せんとするに會うて名古屋地方に大造ある君の事績を書して以て記となす
昭和十五年十一月
枢密顧問官 枢密顧問官竹越與三郎撰 野本白雲書

福澤桃介君追憶碑(福澤桃介先生之碑)

福澤桃介之墓

埋葬場所は多磨霊園の9区・1種・7側・1番となる。(Googleマップ

福澤桃介之墓
福澤桃介之墓

聖地巡礼マップ

福澤桃介に関する書籍・DVD

「福澤桃介式」は明治44年に実業之世界社から刊行された「桃介式」を改題・現代語に編集したもの。桃介の処世訓や名言が散りばめられている。

「水燃えて火」は実話をベースとした小説。個人的にはこれを原作として大河ドラマや朝ドラに発展してほしいと思う。

DVD

古書

明治東亰恋伽(めいこい)

ドワンゴによるメディアミックス作品。明治時代の著名人がイケメンとなって登場する女性向けアドベンチャーゲームが主体である作品。本作には2016年8月25日発売のFull Moon以降に旧姓の岩崎桃介(作中ではモモスケではなくトウスケと呼ばれる。アニメCV:細谷佳正、実写映画俳優:松島庄汰)として登場している。略称「めいこい」。

参考資料

一般社団法人日本電気協会中部支部「中部エネルギーを築いた人々」

この記事を書いた人
神馬シン

福澤桃介をこよなく愛するダム愛好家/ダムペディア・ダムニュース管理人/(一財)日本ダム協会公認ダムマイスター(01-018)/放流注意グッズの販売はじめました→https://shop.dampedia.com

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