今しかない貴重な光景を見てみたいし、現地でしかわからない状況や、奮闘されている生の様子を肌身で感じたいと思い、5月22日(日)に漏水問題で大変な状況の明治用水頭首工を見学してきました。どうも、ダムログの時間です。
東海地方では連日ローカルニュースで放送されており、その「今しかない貴重な光景」を求めて地元の豊田や三河ナンバーだけじゃなく、近隣のナンバーの自動車を見かけ沢山の人が見学に訪れていました。
あと、久しく明治用水頭首工は訪れていなかったので、改めて見ておきたいという意図もありました。
明治用水頭首工や頭首工については古い記事ですが下記をご参考ください。
上流より旧頭首工と堤体を見る
堤体から一番近い駐車場は満車でした。工事関係車両も駐車しているようでしたので、邪魔にならないよう上流にある山室橋近くの駐車場に車をすぐに移動させました。その後、河原に降りられる場所を見つけて河原から撮影しました。漏水していなければここまで河原に降りられることもなかったでしょうし、旧頭首工もこんなに顔をのぞかせることもなかったでしょう。
右岸より明治用水旧頭首工を見る
明治用水旧頭首工は近代化産業遺産にも認定されていますが、普段は写真奥(左岸)にある舟通し閘門と、上の写真のように右手(右岸)には導水堤が見えるようになっています。しかし漏水によって水位が下がってしまったので、旧頭首工の堤体下部が姿を表したのです。ちなみに明治用水そのものは世界かんがい施設遺産にも認定されています。
旧頭首工はコンクリートによる工法が確立する前でしたので、風化花崗岩(まさ土)と石灰を混合させて水を加え叩き固める「たたき」と呼ばれる左官技法が用いられていました。さらに、その表面に自然石を張ることで強度を高めた「人造石」が旧頭首工に使われています。
昭和41年(1966)に矢作川は一級河川となりますが、その際に旧頭首工は取り壊されることになったものの、その人造石が頑丈すぎて全て取り壊せず一部が今見えている部分として残されているそうです。いかに人造石をつくる技術がすごかったのかを物語るエピソードかと思います。
右岸より堤体上流面を見る
右岸と導水堤の間にトンパックを設置して簡易的に堰き止め、そこからポンプアップしていました。最初は矢作川に隣接する小規模河川からポンプアップした水を矢作川に放流しているのだと思いましたが、国土交通省などの公開資料で逆だということに気がつきました。
ポンプ車とホース
写真一番奥の高くなっているそのさらに奥にあるのが小規模河川の安永川となります。東海豪雨で被害を及ぼしたため暗渠化するなど改修が行われ、下流は付け替えられているため旧安永川と表現されることもあります。
ちなみにこの日のポンプ車はぼくが確認できた限りでは、以下の国の出先機関から出動していました。
- 国土交通省中部地方整備局
- 農林水産省本省?
- 農林水産省関東農政局
- 農林水産省北陸農政局
- 農林水産省近畿農政局
東海地方では連日のように報道されていますが、総力戦の様相を呈しており、下流でも別の河川から何箇所もポンプアップするなどしています。
反対側にあるポンプ車
上の写真の矢作川右岸道路を挟んだ反対側にあるポンプ車2台です。ホースも道路を掘って設置して、上に鉄板を敷いていますが仮設とはいえ短期間で準備するのも大変だったことでしょう。別の場所では簡易的にアスファルト舗装もしたりと仕事が早いです。あとホースを通すためフェンスもくり抜いたり撤去したりと緊急事態につきやれることは全部やるという状況のようでした。
桜並木
2つ上の写真の奥の状況です。写真左側が矢作川、右側が旧安永川になります。明治用水頭首工の右岸上流は水源公園として整備されており、桜並木が有名なスポットでもあります。その桜並木は旧安永川沿いにあるのですが、その堤防を跨いでホースが設置されていました。
明治用水頭首工沈砂池
下の写真は手前が明治用水頭首工の沈砂池で、その奥にあるのが旧安永川となります。本来であれば旧安永川は沈砂池脇を通り明治用水に合流することなく、沈砂池の下を通って樋門から排水されます。これをトンパックで堰き止めたところでポンプアップ&オーバーフローさせて明治用水に合流させていました。
上の写真では分かりづらいので拡大すると下の写真のような状態です。
明治用水土地改良区水源管理所
朝8時前でしたが続々と作業員の方が中に入っていきます。ぼくは外から見ているだけですが緊張感が漂ってきます。
水門工事看板
もともと明治用水頭首工は矢作川総合第二期農地防災事業の一環として、ゲートの耐震化対策工事が行われており、まさに終わる間際(というかほとんど終わってる)での漏水事故だったのです。
この工事は下図のようにゲートピアの下部に杭を増設して、大地震にも耐えうるというものです。この工事が今回の漏水事故に影響を及ぼしたのではないかと言われることもありますが、現時点では漏水との因果関係ははっきりとは分かっていません。
ちなみに、現在のGoogle Mapsの空中写真は、改修工事真っ只中という時期に撮影されたものになっています。
右岸下流よりパイピング出口を見る
今回の漏水事故は上流から水みちが出来てしまい、堤体の下部を通って下流に水が流れてしまうパイピング現象ではないかと言われていますが、現時点でも明確ではないとしても見た目の状況からほぼ間違いないと思われます。そして頭首工下流の左岸にはその出口と思われる場所があり、そこから水がコンコンと湧き出ているのが見て取れます。
一般的なコンクリートダムの建設は堤体を打設するよりも前に基礎岩盤まで掘削し、セメントミルクを岩盤の亀裂に注入(これをグラウチングと言います)して水が浸透しないようになっています。しかし明治用水頭首工はフローティングタイプと呼ばれる堰で、堆積した砂礫の上に堤体が載っているタイプになります。ただ載せているだけではパイピングが発生しやすくなりますので、上下流両方向にエプロンと呼ばれるコンクリートの床面を施工することでパイピングが起きないようにしています。上の写真でも導流壁のあたりまでコンクリートの床が設置されているのが薄っすらと見えると思います。
さらに明治用水頭首工では堤体上流面から上流方向20mの位置に深さ4m、堤体上流面の位置に深さ10m、ゲートピア中央から下流方向10.5mの位置に深さ4mの矢板が遮水壁として埋められているそうで、これもパイピングには有効となります。(参考資料)
なお、フローティングタイプの堰は決して珍しいものではなく、小型の堰や頭首工にはよく用いられる型式です。また堤高15m以上のダムでも青森県の浅虫ダムでは、堤体下流に温泉があり上流からの水が泉質に影響することからあえて遮水しないフローティングタイプにしています。
湧き出る水
静止画だと分かりにくいかもしれませんが、ずっと湧き続けています。
右岸より堤体下流面を見る
耐震工事によってゲートピアがきれいになっているのがよく分かります。
右岸より天端を見る
事故発生直後は天端を自由に渡れたようですが、この日は関係者やメディア以外は立ち入り禁止になっていました。通勤や通学で利用される方は通行が可能なようですが、どうやって判別するのかはよく分かりませんでした。
朝礼の様子
土地改良区の敷地内では工事関係者による朝礼が始まっていました。この日の対応方法などが伝達されているのだと思いますが、参加されている方々の表情は固く緊張感があるように見受けられました。
山室橋より旧頭首工と堤体上流面を見る
上流の山室橋まで移動しました。奥に見えるのは伊勢湾岸道の豊田アローズブリッジです。右岸では大型クレーンが配置され、ポンプのホースやトンパックを運んでいます。
山室橋より右岸を見る
山室橋の歩道にも頭首工の様子を見守る人たちがいました。この後、歩いて左岸側まで行こうかと思いましたが、矢作川左岸道路は交通量が多い割には歩くにはかなり狭く、しかもちょっと遠いので諦めて離脱してしまいました。車で行こうにも駐車する場所もありませんし。
諦め切れず左岸へ
一旦、矢作川上流のダム群を巡りましたが、夕方になり諦め切れず帰る前に明治用水頭首工の左岸に立ち寄りました。朝よりも見学してる人が増えている気がします。
パイピング入口付近
ここからだとどこがパイピングの入口なのか分かりませんでした。もっと堤体寄りかもしれません。
左岸から見るパイピング出口
写真の真ん中辺りから水が湧いていますが、4箇所ぐらいから湧いているのが分かります。
漏水の模様は簡単な動画にまとめてみましたので、こちらの方が分かりやすいかもしれません。
クレーンや重機による作業の様子
とにかく現場からは必死さも伝わってきます。
取水口に投入される大量のホース
今回の事故では水が抜けてしまっており、水位が取水口まで届かないため水を取り入れることが出来ず送ることができません。取水口の位置が川底ではなく少し高い位置にあるのは、これより低い位置だと貯まった土砂によって取水を阻害してしまうためで、そのためポンプアップするしか方法がないのです。
左岸より旧頭首工を見る
最後に左岸から旧頭首工を見ることにしました。左岸は少し広場になっている箇所があり、対岸までよく見通せます。右岸にもありますが左岸にも説明看板が設置されています。ただ今回の事故で水位が下がったとはいえ、右岸と違い左岸は河原となった場所に降りることは難しいと思います。
左岸の舟通しより旧頭首工を見る
前述の通り、写真手前の舟通し閘門は普段から見ることができますが、その奥にある堤体下部は水位が下がった今だけしかこの様子は見ることができません。比較できるよう現役当時の明治用水旧頭首工の様子を収めた写真も引用して掲載します。
明治用水はもともと農業用水として建設された歴史がありますが、豊田市の発展とともに工業にも水を供給する重要なインフラとなりました。そのインフラが今回のような未曾有の事故を引き起こしてしまい、特に農業には大きなダメージを与えてしまうことになりそうです。
しかし現地では何とか水を供給させようと頑張っている人たちがいます。その方々に敬意を表しつつ、また明治用水に関係する農家の方々におかれましても、早期に水が供給され安心して農業ができる日が訪れることを願って止みません。
また、今回の漏水事故で頭首工という存在を知った方。ぜひこれを機にダム含め様々なインフラに目を向けて、その大切さや水の貴重さを再認してしていただけたらと思い、締めの言葉と代えさせていただきます。
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