兵庫県のダム

1467-千苅ダム/せんがりだむ

兵庫県のダム
この記事は7分で読めます。

取材日:2011/10/02(日)
所在地:兵庫県神戸市北区道場町生野大岩嶽

家族旅行で神戸と有馬温泉に訪れ、家族(と義母)を有馬温泉において一人で千苅ダムまでやって来ました。

千苅ダムは大正8年(1919年)に建設された上水道専用のダムです。

千苅貯水場の門

しかしあれ・・・門が閉ざされて入れない・・・。これは詰んだと思っていたら・・・

近畿自然歩道

どうもここから堤体に行けるようです。ちなみに手前に広い駐車場がありますので、ここまでは車で来ることができます。

堤体へ続く道

しかし本当に堤体にたどり着けるのか、ものすごく不安になる道です。

堤体チラリズム

これこそ究極のチラリズム!奥へ進むとようやく堤体が見えてくるのでした。

市民トイレ

堤体への道の途中にトイレがあります。大岩岳の登山ルートにもなっているようですので、これは緊急時にとても助かるんじゃないでしょうか。

土砂吐トンネル?

対岸にトンネルのようなものがあります。土砂が流れたような跡がありますので、土砂吐のようにも見えますが、ちょっとよく分かりません。

トンネル?

他にも謎の構造物があります。右岸の道をそのまま進めるとトンネルらしきものが。千苅ダムは大正時代に出来たダムなので、監査廊という考え方はないですし、グラウト用のトンネルにしては堤体から離れすぎています。

地図を眺めて考えていたのですが、もしかしたら昔は浄水場からこのトンネルを通って堤体まで行くルートがあったんじゃないかなと。トンネルの崩落の危険、あるいは一般人の浄水場への立ち入りを制限したいため、一般人を川の脇を通すルートを作って、結果としてこのトンネルが不要になったとか・・・。

ただトンネルの高さが低いようにも思いますので、導水のための鉄管が通っていたのかもしれません。

いずれにしても推測の域は出ませんがなんとなくそんな気がします。

千苅橋を望む

堤体の直下に橋があるダムは良いダムですね。と言ってもこの橋は見学のためというよりは、管理用だったり大岩岳の登山ルートの一部だったりするわけですが。

放流注意看板

いい感じに苔むした放流注意看板です。

千苅橋より登録有形文化財と近代化産業遺産のプレートと堤体を望む

千苅ダムは文化的価値の高い構造物のため、平成10年12月25日に文化庁より「登録有形文化財」として、さらに平成21年2月23日には経済産業省より「近代化産業遺産」に認定されています。さらに土木学会の「日本の近代土木遺産~現存する重要な土木構造物2000選」にも認定されています。そりゃ認定されるよね、と堤体を観たら思わざるをえないです。

千苅橋より堤体を望む

ダムは見学場所が限定されるので、どうしても他の方と似たアングルになってしまうのですが、この場所からのアングルも色んなwebサイトやブログやSNSで見るまさに定番のアングルですね。それだけに到着してからここでしばらくぼーっと眺めていました。

千苅橋より下流を望む

岩がゴロゴロとしているような感じですが、この岩はどこから来るんでしょうか。

余水吐水路トンネル

左岸の高い位置にトンネルがあります。千苅ダムは堤体のクレストゲートを閉じた状態のゲート上端の高さを常時満水位としています。また、千苅ダムはクレストゲートとは別に左岸に越流部が設けられていて、常時満水位を超えるような流入があった場合にこのトンネルを通って放流される仕組みになっています。

言わば非常用洪水吐のような役目を担っているわけです。実際にここから放流される姿が収められた写真を見たことがありますが、それは水が滝のように流れ落ちる様子でした。しかしこんな機能をこんな形で持つダムは他に見たことがありません。

建屋

恐らく浄水場への送水用のバルブ室だと思います。

案内看板

この案内看板によると大正3年(1914年)から大正8年(1919年)にかけて建設され、さらに昭和4年(1929年)から昭和6年(1931年)にかけて6mの嵩上げ工事が行われたことがわかります。

下流より堤体を望む

もう言葉が出ません。

右岸の階段より下流を望む

堤体の向こうまで遊歩道が続いているため、右岸には階段が設置されています。堤体と送水用の鉄管と千苅橋の位置関係がよくわかります。

右岸の階段から堤体を望む

松とダムがこれほど似合うなんて思いもよりませんでした。

右岸の階段

ちなみに右岸の階段はこんな感じです。遊歩道なので割りと歩きやすいです。

右岸の階段より堤体を望む

私にしては珍しく晴れていますが、コントラストもハッキリしていてまさにダム日和&放流日和でした。

クレストゲートからの放流をズームアップで

白い飛沫がまた美しく、石張りの堤体をより引き立ててくれています。

クレストゲートを望む

千苅ダムの放流は比較的よく観ることができるそうですが、それでも場所によってこんなに間近にゲートが観られるのはなかなか他のダムにはないと思います。

右岸の階段より左岸を望む

左岸の高台には手すりや神社の鳥居らしきものが見えます。が、どう考えても自由に立ち入りができない場所にあるようです。あの場所から見る千苅ダム堤体はさぞ素晴らしいことでしょうね。

右岸の階段よりクレストゲートを望む

ダム湖は魚釣りが禁止されています。明朝体フォントで渋い禁止看板です。

右岸より下流側の堤体を望む

ズラッと並んだ石張りのクレストゲートの間から白く輝く飛沫が流れる様は、美しいと言うには語彙が枯渇してどう表現して良いのかもはや分かりません。

右岸より天端を望む

残念ながら天端は立入禁止となっています。門扉で固く閉ざされていますが、神戸の貴重な水源ですから当然ですね。愛好家としては中に入りたい気持ちでいっぱいですが。。。

ちなみに門にある丸い紋章のようなものは「水」をあしらった神戸市水道局のマークです。

右岸の石碑

天端の門の反対側には大きな石碑が建てられています。

KOBE CITY
WATER WORKS EXTENSION
SENGARI RESERVOIR
COMMENCEMENT : JUNE 1914.
COMPLETION : DEC. 1918.
MAYOR : MR.F.KASHIMA.
ENGINEER IN CHIEF :DR.T.SANO.
ASSCC.MEM.INST.C.E.
DIVISION ENGINEER :MR.C.ASAMI.
DO. :MR.H.MIZUNO.
EXECUTIVE ENGINEER:MR.S.TOMONAGA.

神戸市第二回水道拡張工事中
昭和四年四月ヨリ同六年三月
ノ間ニ本堰堤ヲ弐拾尺嵩上シ
貯水池ノ容積ヲ倍加シテ四億
弐千万立法尺トシ堤高百四拾
尺堤長三百五拾弐尺満水面海
抜五百八拾三尺五寸トス

市長 従四位勲四等 黒瀬弘志
助役 従五位 梅津芳三
助役 従七位 渡邊静沖
助役 正五位 杉野繁
顧問 工學博士 佐野藤次郎
水道課長主事 關源三郎
拡張工事主任技師 植村倉藏
技師 兒島勝巳

顧問の佐野藤次郎は布引五本松ダムや豊稔池にも関わった土木技師でダム愛好家会ではもはや有名ですね。

右岸より天端を望む

ずらりと並んだものは一点透視で撮りたくなりますが、これはもはや性(さが)ですね。

右岸より左岸にある銅像を望む

左岸に銅像があるのが見えます。が、残念ながら詳細が分かりません。

右岸よりダム湖を望む

人がいないので静かなダム湖です。それでも時折上流に向かうハイカーに遭遇します。

右岸より左岸を望む

堤体からダム湖側に出っ張っている部分は取水設備でしょうか?

ダム湖に浮かぶ構造物を望む

恐らく水質検査用のフロートだと思います。

曝気設備?

曝気設備っぽいですが不明です。

右岸よりダム湖側の堤体を望む

ちょっと上流の方まで散策路を歩いてみました。上流面もなかなか壮観です。

クレストゲートを望む

千苅ダムのゲートはストーニーゲートというローラーゲートの一種で、戸溝側にローラーを設けたものはそう呼ぶらしいのですが、こうしてみるとよく分からないですね(笑)

千苅ダム諸元

河川名武庫川水系羽束川
目的上水道
型式重力式コンクリート
堤高42.4m
堤頂長106.7m
堤体積41,000m3
流域面積94.5km2
湛水面積112ha
総貯水容量11,717,000m3
有効貯水容量11,612,000m3
ダム事業者神戸市
本体施工者ダム事業者直営
着手年1914年
竣工年1919年
ダム湖名千苅水源池

その他の設備/所感

駐車場からダムまではそこそこ歩きますが、そんなにものすごく遠いわけじゃないです。ただ堤体に着いてから車に忘れ物があると、ちょっと面倒なので準備万端で向かった方が良いでしょう。

駐車場
トイレ
公園×
PR展示館×
釣り×

千苅ダムに近いと思われる宿泊施設

千苅ダム動画

千苅ダムの地図

この記事を書いた人
神馬シン

福澤桃介をこよなく愛するダム愛好家/ダムペディア・ダムニュース管理人/(一財)日本ダム協会公認ダムマイスター(01-018)/放流注意グッズの販売はじめました→https://shop.dampedia.com

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