京都府のダム

1380-廻り池/まわりいけ

2.5
1380-廻り池/まわりいけ京都府のダム
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取材日:2014/1/4(土)

世木ダムをあとにして次に訪問したのは廻り池になります。廻り池は農業用のアースダムになります。

天端付近より府道と国道の分岐を見る

クルマを停める場所があまり無いのですが国道側が前年の台風の影響で通行止になっていたため、バリケードの前を少し拝借しました。こんな停め方が出来るのはこの時だけですね。左手の道の奥に路肩がありますので、そこに停めると良いかもしれません。上流端にも駐車場がありますが、かなり距離があります。

天端付近より府道と国道の分岐を見る
天端付近より府道と国道の分岐を見る

バス停と石碑

上の写真の左側に見えているのが下の写真のようなバス停と石碑です。ダム便覧と京都府のため池データベースでは廻り池とされていますが、バス停は神吉池、石碑は廻池、Google Mapsや国土地理院地図は廻り田池と表記されており、かなりゆらぎがあります。

神吉池は改修前の池の名前だという情報を個人ブログで拝見しましたが、明確なソースがないためこの情報もちょっと怪しいような気がしています。個人的には上流側(南丹市側)の地名が神吉であるための俗称(あるいは別称)ではないのかと推測しますがさて…

バス停と石碑
バス停と石碑

それにしても穴が2ヶ所くり抜かれた変わった石碑ですね。なにか理由があるのでしょうか。

沿革

大きな石碑の左下には沿革が記された石碑が設置されています。

沿革
沿革

沿革
明治十一年此地を借受地元の肝煎にて貯水池築造を企画し仝十二年工事着手仝十三年完了
 貯水量 約丗六萬立方米
 明治廿九年 増築堤防嵩上高壹丈参尺
 貯水量 約六十九萬七千立方米
 明治四十二年 下樋移転改築 底樋隧道七尺引上
 大正七年 余水吐改築
 昭和廿四年 余水吐上高壹米可動堰?新築
 貯水量 八十四萬六千立方米
築造以来八十年を経て年々漏水甚だしく危険溜池として関係官庁の協力を得て漸く昭和丗三年度より老朽溜池補強事業として壹阡五百拾萬圓の府営事業としてグラウト工堤塘補強余水吐の大改築樋管改修工事を施工茲に完成を見るに至り此を機に往古を偲び記念碑を建立する
 昭和丗五年七月 旭土地改良區

現地石碑より

旧字体や判別不能な文字が一部ありますが、おおよそのこれまでの改修の経緯が読めました。

和暦(西暦)施工内容
明治11年(1878)土地を借り受ける
12年(1879)工事着手
13年(1880)初期の廻り池が完成(貯水量:約36万㎥)
29年(1896)堤体を1丈3尺(約3m90cm)かさ上げ(貯水量:約69万7千㎥)
42年(1909)下樋を移転改築し、底樋を7尺(約2.12m)に拡大
大正7年(1918)余水吐改築
昭和24年(1949)余水吐に高さ1mのゲートを新設?(貯水量:84万6千㎥)
33年(1958)堤体をグラウトで補強し、余水吐の大改築、樋管改修工事を実施

昭和24年の工事はちょっと自信がありませんが、他にも間違いがありましたらご指摘ください。ともあれ100年以上の歴史があるため池で、何度も改修工事を行って増強してきたことが石碑から読み取れます。

石碑のあたりから余水吐と堤体上流面を見る

側水路式の余水吐ですが、くの字に折れ曲がっているのが特徴的です。2面で水を集約して下流に流そうとしているのが興味深いですね。また、余水吐きの奥に見える石積みの遮水箇所が堤体になりますが、あまりそうは見えないのも面白いです。

石碑のあたりから余水吐と堤体上流面を見る
石碑のあたりから余水吐と堤体上流面を見る

余水吐上の橋より下流を見る

草木が生い茂っていてなんだかよくわからない写真になってしまいました。向こう側にチラッと見える道路は当時通行止になっていた国道477号です。

余水吐上の橋より下流を見る
余水吐上の橋より下流を見る

無造作に置かれた親柱の残骸

「三俣川」、「いけのうえばし」と書かれた親柱が乱暴に置かれていますが、どうしてこんなことに。ちなみにちょうどこの橋の真下から三俣川という名称になるらしく、それより上流は千歳川となるようです。国土交通省の河川データではこの付近の河川は全て名称不明とされていますが、こんな状態で転がってるとはいえ親柱がある以上は橋を境にして上流が千歳川、下流が三俣川ということなのでしょう。

無造作に置かれた親柱の残骸
無造作に置かれた親柱の残骸

ただ廻り池の南に位置する西ヶ谷ダムに注ぐ河川も三俣川だそうで、下流の砂防ダム「三俣アーチダム」の工事報告にも以下のように書かれています。

三俣川はE.L.728mの三頭山を中心とし千才山、地蔵山の連峯に源を発して居る。

三俣アーチダム工事報告

水源の範囲が広い…しかし千才山(千歳山)にまで広げると廻り池に流れる河川も三俣川ということになってしまうと思うのですが、廻り池より上流にある橋の銘板には「千歳川」と書かれているので、やはり余水吐に架かる橋から下流が三俣川で、それより上流は千歳川なのでしょう。

左岸より堤体上流面を見る

廻り池はとにかく堤体が分かりにくいです。しかもこの形状。上流方向がかなり肉厚になっています。見た目だけだと本当に堤体なのか怪しくなってしまいます。昭和33年の改修工事の際には漏水が激しかったようですので、それもあってここまで肉厚にしたのかもしれません。

左岸より堤体上流面を見る
左岸より堤体上流面を見る

右岸より堤体下流面を見る

でもすぐ下流側がこのような形状なのでやはり堤体なのです。

右岸より堤体下流面を見る
右岸より堤体下流面を見る

右岸より天端を見る

天端は国道477号が通っていますので、いわゆる天端国道になります。アースダムの天端国道は珍しいような気がします。

右岸より天端を見る
右岸より天端を見る

右岸の取水設備建屋

かんがい用のアースダムによく見かける感じの取水設備建屋です。

右岸の取水設備建屋
右岸の取水設備建屋

斜樋式取水設備

こちらもよくあるタイプの斜樋式取水設備。

斜樋式取水設備
斜樋式取水設備

右岸の境界石

右岸には境界石がありました。右が丹波國桑田郡(くわだぐん)、左が山城國葛野郡(かどのぐん)。ここが国境(くにざかい)であったことを示しています。

右岸の道標
右岸の道標

境界石の裏

明治13年(1880)。ほんとこのダムは歴史を感じさせてくれる遺物が多くあって面白いですね。

道標の裏
道標の裏

右岸より北西(日吉・世木ダム方面)を見る

写真左に見える石が境界石です。今では南丹市と京都市右京区との境界になっています。

右岸より北西(日吉・世木ダム方面)を見る
右岸より北西(日吉・世木ダム方面)を見る

左岸より天端を見る

事前情報を持ち合わせていなければダムだとは誰も気が付かないでしょうね。

左岸より天端を見る
左岸より天端を見る

余水吐の上に架かる橋を見る

ダムどころか国道だとも思わないかもしれません。

余水吐の上に架かる橋を見る
余水吐の上に架かる橋を見る

複数のダム名を持ち、石碑からダム建設と改修の歴史が分かり、余水吐き以外の見た目がダムらしからぬダムという、見た目以上にとても興味深く思考を巡らすことができる廻り池でした。

廻り池諸元

所在地京都府南丹市八木町神吉(ダム便覧)
右京区嵯峨越畑鍋浦98他(ため池データベース)
河川名淀川水系千歳川
目的A(かんがい用水)
型式E(アースダム)
堤高30m(ダム便覧)
23.66m(ため池データベース)
堤頂長51m(ダム便覧)
52.5m(ため池データベース)
堤体積69,000㎥
流域面積5.4km2
湛水面積10ha
総貯水容量950,000㎥(ダム便覧)
740,000㎥(ため池データベース)
有効貯水容量850,000㎥
ダム事業者三俣土地改良区
(ダム便覧では旭土地改良区)
本体施工者ダム事業者直営
着手年1878年
竣工年1880年
ダム湖名

その他の設備/所感

国道477号と府道50号の分岐、府道側に車が止められるスペースがあります。また、上流端に広い駐車場があります。

駐車場
トイレ×
公園×
PR展示館×
釣り○?

廻り池周辺の地図

廻り池周辺の天気

廻り池に近いと思われる宿泊施設

この記事を書いた人
神馬シン

福澤桃介をこよなく愛するダム愛好家/ダムペディア・ダムニュース管理人/(一財)日本ダム協会公認ダムマイスター(01-018)/放流注意グッズの販売はじめました→https://shop.dampedia.com

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