取材日:2014/1/4(土)
兵庫県東部と京都西部のダムを初ダム詣していたこの日。日吉ダムは何度か訪問していましたが、日吉ダムの上流にまだ行ったことがないダムがあるのを思い出して訪問したのがこの世木ダムでした。
世木ダムは下流に日吉ダムが建設されたことによって大半が水没してしまいましたが、既設の新庄発電所の取水ダムとして現役で働くダムです。また、日吉ダムの事実上の貯砂ダムとしての役割も新たに担うことになったダムでもあります。
右岸より堤体と貯水池を見る
世木ダムは遊歩道として整備されているため天端を自由に歩くことができます。
右岸より堤体上流面を見る
この年の前年、2013年の9月に襲来した台風18号は豪雨をもたらし、京都府内の各所に浸水被害が発生しましたが、年を明けてもなお世木ダム周辺はその影響が色濃く残っていました。
右岸天端レベルより堤体上流面を見る
天端に長い流木が突き刺さっているのが見えます。
日吉ダムの最高水位時、世木ダムはほぼ水没することになるのですが、当時の写真が日吉ダム管理所が発行している季刊紙「南丹さんぽ 2013年秋号(台風18号特集号)」に掲載されていますので引用させていただきます。そりゃ流木も突き刺さりますよね。
右岸より新庄発電所の取水口を見る
この取水口から直線距離にして約3.6km下流の新庄発電所に導水路トンネルを通って送水され最大6,700kWの発電を行います。桂川を短絡させる形で送水されていますので、実際にクルマなどでここから発電所に移動しようと思うと10km以上も移動する必要があります。
右岸より天端を見る
世木ダムは1951年(昭和26年)竣工のダムということで、当時のダムによく見られるゲート部分が高くなったデザインとなっています。
自記水位計室
重厚なデザインの自記水位計室。
天端より右岸の遊歩道?を見る
右岸には車で移動する道路の他に遊歩道もしくは巡視通路のような道がありますが、さきの台風によって一部が崩落し通行不能となっています。この崖は補修されましたが通路は完全に封鎖されたようです。
天端より下流側に突き出た流木を見る
これが自然の力というものでしょう。それにしても写真は世木ダムの下流側なのですが日吉ダムの貯水池でもあるので、まるで世木ダムの貯水池に見えてしまいますね。また、大量の流木がありますが、これらが日吉ダムの貯水池内に留まっているということは、下流に流れず被害拡大を抑止しているということですね。
左岸より堤体上流面を見る
ラジアルゲートがあった痕跡がゲートピアに残っています。ラジアルゲートは日吉ダム建設に伴って撤去されていますが、その姿も見てみたかったですね。おそらく天端にはゲート巻き上げ機などがあっただろうと想像しますが、その痕跡が見当たらないのが気になります。
当時の世木ダムの写真がネット上ではなかなか出てこないので、この記事を書いているうちに色々と文献を漁りたくなりました。日吉町郷土資料館に資料あるかな…
左岸より天端を見る
外側が元々の高欄で、内側に擬木デザインの高欄が新たに設置されています。
左岸よりゲートピア上の天端を見る
ほんとゲート巻き上げ機はどうしてたんでしょうね…
堤体下流面を見る
天端をあとにして下流側に移動してきました。右岸道路にはちょうど展望台のような場所があり、しっかりと下流面を見ることができます。どうぞここからご覧くださいと言わんばかりのおもてなしっぷりです。
堤体に引っかかった流木
こうしてみると流木が絶妙なバランスで突き刺さっているのがわかります。
日吉ダムが建設される際に、ラジアルゲートが撤去されたことで見た目の印象が変わってしまったであろう世木ダム。さらには日吉ダムの満水時には水没してしまう世木ダム。それでも完全撤去されることなく発電用のダムとして、また実質的な貯砂ダムとしての役割を新たに担い、まさに第二の人生を楽しむ初老の紳士のようなダムでした。
世木ダム諸元
所在地 | 京都府南丹市日吉町天若字向山 |
河川名 | 淀川水系桂川 |
目的 | P(発電) |
型式 | G(重力式コンクリートダム) |
堤高 | 35.5m |
堤頂長 | 138.2m |
堤体積 | 59,000㎥ |
流域面積 | 279km2 |
湛水面積 | 48ha |
総貯水容量 | 5,595,000㎥ |
有効貯水容量 | 2,790,000㎥ |
ダム事業者 | 関西電力 |
本体施工者 | 鹿島建設 |
着手年 | 1950年 |
竣工年 | 1951年 |
ダム湖名 | ― |
その他の設備/所感
駐車場は路肩に停められるスペースがあります。釣りはできますが世木ダムから上流200mと下流100mは禁漁区になります。
駐車場 | △ |
トイレ | × |
公園 | × |
PR展示館 | × |
釣り | ○ |
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