取材日:2012/03/31(土)
試験放流を行う大滝ダムへ向かう途中に、ダムがあることを案内看板で気づき急遽立ち寄ったのがこの宮奥ダムです。
下流の集落より堤体を望む
国道370号線に立つ宮奥ダムへの案内看板で右折してしばらく走ると目の前に堤体が見えてきます。
下流の橋より堤体を望む
直下まで近づいてみました。ブロックのように下流側に構造物があるため、全体像がちょっと掴みづらいですね。
下流の橋より減勢工を望む
一風変わった減勢工です。副ダムが垂直に造られていて、まるでプールのようです。副ダムと言っていいのかも分かりませんが…
大宇陀町簡易水道 南部浄水場
さらに右岸側には浄水場があり、さらに堤体を愛でにくくしています。ですが、メインの役割は我々愛好家に愛でてもらうためではなく、上水道用水でありかんがい用水なわけですから、こればかりは仕方がありません。
右岸より下流側の堤体を望む
右岸への道を進めると少し高台になっていますので、真正面ではありませんが、なんとか下流側の堤体の全体を見ることができます。
右岸より下流側の堤体と梅林を望む
下流はちょっとした梅林になっていて、紅白の花が咲いていました。
左岸の広場
天端レベルまで来ました。モニュメントなどがあり広場のようになっています。
宮奥ダム管理所
左岸に宮奥ダムの管理所があります。
左岸にあるトイレ
トイレ完備!!
壁画「阿騎野の朝」の看板
広場の真ん中にある三角錐型のモニュメントに取り付けられた看板です。
壁画『阿騎野の朝』 中山正實画伯作 [大宇陀町中央公民館蔵]
万葉集の中の秀歌『ひむがしの野にかぎろひの立つみえてかへりみすれば月かたぶきぬ』は、柿本人麻呂が軽皇子(後の文武天皇)の供として阿騎野(現在の大宇陀町)で狩りをした際、雄大な夜明けの情景を詠んだ歌です。この歌に基づき描かれたのが中山正實画伯作の壁画です。
上記の看板の反対側にある「かぎろひ」の看板
『かぎろひ』については諸説がありますが、大宇陀町観光協会では、”厳冬のよく晴れた夜明け、日の出1時間ほど前に現れる最初の陽光“という説に基づき、この『かぎろひ』に万葉の昔と人麻呂を偲ぶため、この歌が読まれたとされる旧暦11月17日に『かぎろひを観る会』を開催しています。
左岸より下流側の堤体を望む
天気は例によってあいにくの雨ですが、濡れる堤体もまた良いものなのです。
左岸よりダム湖側の堤体を望む
しかし徐々に雨脚が強くなってきます。
左岸より天端を望む
雨が降っていても対岸が待っています。天端は車では通れませんので、徒歩で向かうしかありません。
左岸の天端より減勢工と浄水場を望む
こうして見ると、まるで減勢工がプールのようです。この形式は全国的に見ても珍しいと思います。
天端よりダム湖とインクラインを望む
こじんまりとしたインクラインです。それにしても雨が強い…
取水設備のゲート巻上機室
丸島アクアシステムによる施工の取水設備です。合計5門の鋼製スライドゲートが格納されているようです。
右岸より天端を望む
雨に降られながらも対岸の右岸までやってきました。
右岸よりダム湖側の堤体を望む
この地区の上水道用水と農業用水を担うダムですが、豊富に水があるようです。
右岸より下流側の堤体を望む
満水時にはどうなるのかちょっと見てみたいですね。 洪水吐から流れた水がそのままカーテンのように滑り落ち、プールのような減勢工に溜まった水を押し流す。そんな状況を見てみたいです。
天端より下流を望む
狭い谷の奥に宮奥ダムが存在していることがお分かりいただけるかと思います。
上流よりダム湖側の堤体を望む
左岸に戻って車に乗り込む前に、少しだけ上流からの堤体を狙ってみました。
県営らしいスタンダードなダムですが、機能的に地元に役立っているダムでした。
宮奥ダム諸元
所在地 | 奈良県宇陀市大宇陀区宮奥 |
河川名 | 淀川水系宇陀川 |
目的 | A(かんがい用水)、W(上水道用水) |
型式 | G(重力式コンクリートダム) |
堤高 | 36.5m |
堤頂長 | 175m |
堤体積 | 65,000m3 |
流域面積 | 2.9km2 |
湛水面積 | 5ha |
総貯水容量 | 580,000m3 |
有効貯水容量 | 475,000m3 |
ダム事業者 | 奈良県 |
本体施工者 | 清水建設・村本建設・淺沼組・錢高組 |
着手年 | 1983年 |
竣工年 | 1998年 |
ダム湖名 | 宮奥湖(みやおくこ) |
宮奥ダムの地図
その他の設備/所感
駐車場 | ◯ |
トイレ | ○ |
公園 | × |
PR展示館 | × |
釣り | ○ |
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