石川県のダム

0917-赤瀬ダム(あかぜだむ)/ 石川県

3.5
0917-赤瀬ダム(あかぜだむ)/ 石川県 石川県のダム
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取材日:2023/7/29(月)

森と湖に親しむ旬間イベントで真名川ダムと笹生川ダム、そして雲川ダムを見学して、帰るまでの時間をどうしようかなと考えに考えた結果、石川県のぽっかりと未訪問だったエリアを目指すことにしました。その最初の赤瀬ダムです。ちなみに読み方は「あかせ」ではなく「あかぜ」になります。

本当は福井県勝山市から国道416号を北上して来たかったのですが、途中で通行止であることに気が付き、慌てて国道364号経由で移動しますが、鳴鹿大堰・龍ヶ鼻ダム・我谷ダム・九谷ダムという誘惑に駆られながらもなんとか赤瀬ダムまで辿り着きました。

まずは右岸から

県道沿いには「森と湖に親しむ旬間」の幟が立っていました。時間は17時頃。この年の赤瀬ダムは7/22にダム一般開放イベントが行われたようです。国土交通省が公開している資料には「ダム管理棟等の見学」と書かれていますが、堤体内見学なども行われたのか気になるところです。

駐車場と管理所
駐車場と管理所

管理所の玄関にも恐らく毎年掲示されるであろう「もりみず」の看板が設置されていました。

石川県赤瀬ダム管理事務所
石川県赤瀬ダム管理事務所

左右岸はとてもきれいな黄緑色になっています。日々丁寧に管理されていることが窺えます。夕日が反射して余計にきれいに見えます。赤瀬ダムの堤高は38mととてもコンパクト。

右岸より堤体下流面を見る
右岸より堤体下流面を見る

天端の自動車の通行は可能です。

右岸より天端を見る
右岸より天端を見る

ダムを模しているのでしょうか?「ル」という文字にも見えます。石川県は住所の小字を「イロハニホヘト」とする場合が多いのですが、管理所の住所は「ハ」でした。また赤色なのはやはりダム名や赤瀬という地名からそうしているのでしょうか。

赤瀬ダムの石碑
赤瀬ダムの石碑

石川県の石碑に対してとてもとても控えめな施工者による石碑。

施工者による石碑
施工者による石碑

水位が低く感じられますが、7月ということもあり洪水調節容量を空けているのだと思います。また、秋から冬にかけては水を貯めない運用だそうです。

右岸より堤体上流面を見る
右岸より堤体上流面を見る

右岸側のリムトンネルの扉になります。

右岸リムトンネル
右岸リムトンネル

天端へ

上流には広場やキャンプ場や宿泊施設などがあるようです。

天端より貯水池を見る
天端より貯水池を見る

農業用取水設備の上部が天端から見えるようになっていますが、半円形の何やら可愛らしい物体がありました。この中身が何なのかちょっとよく分かりませんでした。

農業用取水設備のゲート巻上機の一部?
農業用取水設備のゲート巻上機の一部?

同じく農業用取水設備の上部にある「内水位計」です。ただし「内水位」とは通常堤内地の水位の事を言いますが、なぜこの表記なのかこれもよく分かりませんでした。

内水位計
内水位計

クレストゲートのワイヤーが横切ってるのはちょっと珍しいと思います。下流を見るのに少し邪魔に感じますが、まぁ珍しいので許しましょう(何目線)
また、下流から堤体下流面を見ることができるようですので、あとで行ってみましょう。

天端より右岸側のクレストゲート上より下流を見る
天端より右岸側のクレストゲート上より下流を見る

頑丈にコンクリートでできたクレストゲートの操作室ですが、堤体内やコンジットゲートに通じる階段もあるようです。

クレストゲート操作室
クレストゲート操作室

赤瀬ダムのクレストゲートは2門ありラジアルゲートとなっています。また、左右クレストゲートの中央下部にはコンジットゲートが備えられています。

左岸側のクレストゲート上より下流を見る
左岸側のクレストゲート上より下流を見る
事業主体石川県
型式クレストラジアルゲート
純径間x扉高9mx8.3m 2門
開閉速度0.3m/min
扉体重量32.5t
竣功昭和52年8月
製作川崎重工業株式会社
赤瀬ダム放流設備(現地銘板より)

左岸へ

県営らしく至ってシンプルです。ちなみに左右両岸の山に展望台はありません。

左岸より天端を見る
左岸より天端を見る

右岸と同じようにリムトンネルの出入口に扉が設置されています。

左岸のリムトンネル
左岸のリムトンネル

左岸の上流側親柱に当時の石川県知事中西陽一揮毫による赤瀬ダムの銘板が嵌められていました。中西陽一は在職期間31年と全国の知事の中でもっとも最長で、2024年現在もこの記録は破られていないそうです。8選という記録もタイ記録だそうです。また、8期目の在任中に亡くなっています。

左岸の赤瀬ダム銘板
左岸の赤瀬ダム銘板

赤瀬ダムから東に山の尾根を2つほど超えた先に「大日川ダム」がありますが、赤瀬ダムの着手から遡ること16年前の昭和25年(1950年)にこの大日川ダム建設のための調査が始まります。時の石川県知事は柴野和喜夫。

大日川ダムでは小松市ウェブサイトで公開されている第10巻「図説こまつの歴史」によれば、『事業遂行側の石川県等が目的・方法を変更したため、地域とのずれが大きく、時として紛糾をもたらした』『分水と大規模発電・村民の受益者負担や水没等、この負担軽減として防災目的を追加するなど、国・県・北電・地元との調整に手こずる』とあります。

対して赤瀬ダムでは『昭和四十三年十月四日、中西陽一知事が赤瀬町を訪問。住民は石川県知事直々に驚きをもって迎え、会場の上座に着くように勧めたが、「今日は皆様にお願いがあって参ったのでここで結構です」として話に入った』とあり、さらに建設条件として『補償対象の最も少ない地、赤瀬町の上流1kmにダム堰堤を定めた。このため、集団移住もなく、墓地の移動・道路の改修等がなされた』とあり、揉めに揉めた大日川ダムとはかなり対照的です。

このエピソードからも中西陽一知事がかなり善政を行っていたことが手に取るようにわかります。

第10巻「図説こまつの歴史」公開|小松市ホームページ
小松市では,市の歴史,文化を皆様に広く知っていただきたく,『新修 小松市史』より「10巻 図説こまつの歴史」を公開しています。下記の注意事項をお守りの上,閲覧していただきますようお願いいたします。

そんな中西知事のエピソードがすばらしくうっかり字数が増えてしまいます。

さて、赤瀬ダム。左岸から堤体上流面を見ようと試みますが、夏らしく草木の背丈がすごくて全然見えません💦

左岸より堤体上流面を見る
左岸より堤体上流面を見る

もう少し下流側から見えると良いのですが道がないのと、こちらも草木が生い茂ってこれが限界でした。

左岸より堤体下流面を見る
左岸より堤体下流面を見る

左岸側には慰霊碑がありますので手を合わせましょう🙏

慰霊碑
慰霊碑

左岸には艇庫があり、インクラインも備えられています。艇庫から出ている鉄骨はクレーンのレールのようです。

艇庫
艇庫

下流へ

赤瀬ダムの下流にやって来ました。こちら側は草が生い茂ってコンジットゲートや減勢工などがはっきり見えません。。。

右岸下流より堤体下流面を見る
右岸下流より堤体下流面を見る

なんとか眺望の良いところを探しますが、隙間を狙うしかありません🤣
ちなみに左側に2つ青い水門が見えていますが、農業用水の水門のようです。

少し移動して堤体下流面を見る
少し移動して堤体下流面を見る

草むらの隙間からなんとかコンジットゲートが見えました。ちょうど放流していました。

草むらの隙間からゲートを見る
草むらの隙間からゲートを見る

というとても平和裏に建設が進められた赤瀬ダムでした。

赤瀬ダム諸元

所在地石川県小松市赤瀬町
河川名梯川水系梯川
目的F(洪水調節、農地防災)
N(不特定用水、河川維持用水)
型式G(重力式コンクリートダム)
堤高38m
堤頂長180m
堤体積77,000㎥
流域面積40.6k㎡
湛水面積54ha
総貯水容量6,000,000㎥
有効貯水容量5,200,000㎥
ダム事業者石川県
本体施工者飛島建設・酒井工業
着手年1968年
竣工年1978年
ダム湖名赤瀬湖

その他の設備/所感

駐車場
トイレ
公園
PR展示館×
釣り×
展望台×

赤瀬ダム周辺の地図

赤瀬ダム周辺の天気

赤瀬ダムに近いと思われる宿泊施設

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この記事を書いた人
神馬シン

福澤桃介をこよなく愛するダム愛好家/ダムペディア・ダムニュース管理人/(一財)日本ダム協会公認ダムマイスター(01-018)/放流注意グッズの販売はじめました→https://shop.dampedia.com

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