取材日:2013/08/03(土)
熊野川ダムから移動して神二ダムにやって来ました。神二ダムは北陸電力による発電専用のダムで、直下にある神通川第二発電所で最大44,000kWの電力を生み出しています。発電所名からか神通川第二ダムと呼称される場合もあります。
また、神通川の読み方やカナ表記に関してはジンズウガワ・ジンヅウガワ・ジンツウガワと3通りあります。地元の方々はジンズウガワの読み方が慣れ親しんでいるようですが、特に統一された正確な読み方というものは無いようです。
左岸より堤体下流面を見る
国道41号沿いを走行すると一般に開放されている広い駐車場のような広場があり、そこに車を止めてダム周辺を散策することができます。駐車場の脇からは下の写真のように下流面をしっかりと見ることができます。
観光案内板
神通川の自然の力によってつくられたのが神通峡で、V字谷の峡谷をなしています。そのため観光スポットが描かれていますが、発電所やダムも案内板に描かれています。谷があって豊富な水量の河川があれば水力発電に目をつけるのはごく自然な流れなのかもしれません。
さらに堤体に近づいて下流面を見る
1953年竣工のダムで渋さが光るダムですね。右岸に見える白い建物が神通川第二発電所です。
左岸より堤体上流面を見る
手前にあるのは予備ゲートの扉体でしょうか。
左岸より天端を見る
神二ダムの天端は開放されていて徒歩での通行が可能です。きっと地元の方には橋として利用されていることでしょう。
さらにゲートピアの上へと進む
さらに階段でゲートピアの上の通路へと進みます。こういう場合、できれば下流側が見たいのですが、残念ながらゲート巻揚機があるので下流を見ることはできません。
ゲート銘板
神二ダムにはラジアルゲートが全部で9門あり、一番右岸にある9号ゲートには決寫板(欠瀉板・フラッシュボード)が付いています。決寫板とは貯水池に流れてきた流木やゴミなどを下流に流すための小さなゲートです。法律や環境が変わり流木は下流に流せなくなりましたので、恐らく今では利用していないものと思われます。
天端より貯水池を見る
すごい流木の数です。この時はそれほど大きな流木ではありませんでしたが、大雨や台風の時には大木が大量に流れることがあるので、こうして堤体によって流木が捕捉されるのは下流に対してメリットにもなり得ることが分かる写真かと思います。
ちなみに貯水池は漕艇場になっていますが、洪水時以外は神二ダムによってほとんど流れがなく安定しているのだとか。また、峡谷になっているため横風がなく漕艇に影響を受けにくい地形のようです。
天端より取水口を見る
右の流木フェンスがしっかりと流木を捕捉して、取水口に影響しないようになっているのが分かります。発電用の取水口と流木フェンスの間にもうひとつ小さな取水口がありますが、こちらは農業用水「大沢野用水」の取水口になります。
大沢野用水は1819年(文政2年)に計画され1865年(慶応2年)に着手し1868年(明治1年)に完成しますが、1870年(明治3年)の洪水で破損してしまいます。その後、幾度となく改修工事が難航し、1902年(明治35年)に至ってようやく本格的に利用されるようになったそうです。
その後、神二ダム建設にともない、もともと発電所付近にあった取水口はダムの上流に移設されています。ちなみに神通川と農業用水の話になるとどうしてもイタイイタイ病に繋がってしまうのですが、長くなってしまうのでここでは割愛させていただきます。
右岸側の天端より下流を見る
例によって家族を車中に置いてきているので、すぐに戻るため右岸道路まで行かずにこの辺りで折り返したのですが、右岸下流に見える広場から堤体が見えたかもしれないと思うと、また神二ダムに行かなきゃという思いになりますね。
右岸側の天端より堤体下流面を見る
おまけにこの時は決しゃ板を気にもしていなかったので、しっかりと写真に収めてないんですよね。下の写真にチラッと決しゃ板が写っているに留まっています。
またいつか再訪したい神二ダムでした。
神二ダム諸元
所在地 | 富山県富山市岩稲 |
河川名 | 神通川水系神通川 |
目的 | P(発電) |
型式 | G(重力式コンクリートダム) |
堤高 | 40m |
堤頂長 | 336.8m |
堤体積 | 107,000㎥ |
流域面積 | 2,060km2 |
湛水面積 | 67ha |
総貯水容量 | 8,663,000㎥ |
有効貯水容量 | 3,141,000㎥ |
ダム事業者 | 北陸電力 |
本体施工者 | 前田建設工業 |
着手年 | 1952年 |
竣工年 | 1953年 |
ダム湖名 | ― |
その他の設備/諸元
駐車場 | ○ |
トイレ | ○ |
公園 | × |
PR展示館 | × |
釣り | ○ |
コメント