取材日:2014/12/10(水)
苫田ダムから吉井川沿いに北上してやって来たのがこの日9基目の訪問となる恩原ダムです。ここまで来るとさすがに雪が多くなってきました。恩原ダムといえばバットレスダム。ぼくが人生で初めて訪問したバットレスダムとなりました。なお、恩原ダムは恩原貯水池堰堤とも表記されることもあります。
右岸の天端入口
右岸の天端入り口にあるコンクリート構造物は洪水吐のゲートピアになります。
盛命碑
右岸には石碑がいくつかあります。この盛命碑(せいめいひ?)は慰霊碑とされているようです。
成功記念碑
平作原水路・恩原貯水池・遠藤水路成功記念碑とあります。そして昭和三年五月の文字。恩原ダムはダム水路式発電所である平作原発電所(へいさくばらはつでんしょ)の貯水池として昭和3年(1928)に建設されました。
平作原水路とは恩原ダムから平作原発電所に送水される導水路のことを示します。遠藤水路は吉井川の左支遠藤川に建設された遠藤川取水堰堤と、さらに遠藤川の支流遠藤原川に建設された遠藤原川取水堰堤から取水された水を恩原貯水池に送水するための導水路のことです。
工事傷病死者之碑
盛命碑が慰霊碑だとする文献があるのですが、工事傷病死者之碑もあってこっちの方が慰霊碑じゃないのかな?と思いました。
登録有形文化財銘板
恩原ダムを含めた平作原発電所に関連する10施設は、平成18年(2006)11月に国の登録有形文化財に指定されています。写真はゲートピアに掲げられた登録有形文化財の銘板になります。
なお、恩原ダムにおいては国土交通省の近代土木遺産にも指定されています。
右岸より堤体上流面と貯水池を見る
写真右側には洪水吐と、その向こうに堤体上流面が見えます。雪で白くなった斜面が堤体上流面です。
恩原地域雨量観測所(アメダス)
右岸には岡山地方気象台によって設置されたアメダスがあります。そういえばGoogleストリートビューで近年撮影された写真を見ると、アメダスの左側に新しい建物が建てられたようです。新しい管理所でしょうか。
右岸より天端を見る
右手の橋から天端に続く道がつながっています。狭いので自動車の通行は禁止。天端と言っても角度がついているため右岸からはまともに天端を見ることはできません。
洪水吐より上流方向を見る
右岸をひとしきり見て天端へと移動していきますが、まずは洪水吐上から。ここから見る限りだと夏場でも滅多に放流することはないように見えますね。ゲートピアには角落しの戸当りがありますが、角落しはどこかに格納されているのでしょうか。
洪水吐
ここを水が流れることは果たしてあるのでしょうか。
下流側の導流部を見る
導流部は比較的長く設けられています。ダム軸に対して垂直ではなく斜めになっているため、堤体下流面の正面に流れ込むような形になっています。
謎の建屋
ゲートピアの左岸側には謎の建屋があります。管理所とも違うようでなんでしょうね。
小さな祠
かなり逆光がきついですが、謎の建屋の向かいには小さな祠があります。どうも水神が祀られているようです。
恩原貯水創案者山﨑仲次君記念碑
山﨑仲次なる人物についてはほとんど情報が無いそうで、何者なのかは一切不明なのだそうです。大正期に愛媛県でミカンの栽培や販売に関わったとされる文献をネット上で見つけましたが、同姓同名の可能性もあり謎は深まるばかりです。
中国電力株式会社恩原ダム管理所
前述のとおり、アメダスの隣に新しい建物が建てられたようで、もしそれが新しい管理所ならこの管理所はもう使われていないかもしれません。
管理所脇より天端を見る(左岸方向)
天端はかなり狭くなっています。
天端より恩原湖を見る
「自然豊かな湖」などと観光サイトなどに書かれることもありますが人造湖なんですよね。ダムはこうした景勝地を生み出すこともあることは一般にはあまり知られていないのが少し残念です。
水位計室
天端にはコンクリートブロック製の水位計室が設けられています。
左岸より堤体上流面を見る
貯水池側の堤体は雪が積もってコンクリートの表面が見えません。堤体下流面はほぼ垂直に立っているので、貯水池側の勾配は1:1でしょうか。
左岸より堤体下流面を見る
左右両岸からの眺望はあまり良くありません。ここからだと下流面が切り立っていることは分かっても、表面がどうなっているのかほとんど分かりません。
左岸より天端を見る
左岸は国道まで徒歩で行くことができますが、雪が深かったのでここで引き返すことにしました。その時の天端の写真です。
天端より下流方向を見る
なんとかバットレスダムであることを特徴づける下流面が見てみたいとあちこち探します。下流に続く道があるようだけど行けるのかなぁ…などと考えながら天端をあとにします。
下流面に繋がる道
案の定下流面へとつながる道はフェンスで塞がれていました。
右岸の車道を何気なく探して見つけた道
他に道はないかと探していると獣道とは違って、明らかに人が切り開いたような道を見つけました。看板も何もなかったのですがとりあえず歩いてみます。
!!
とぼとぼと歩いていると難なくたどり着いてしまいました。ご覧のとおり倒木もありますのでちょっと注意が必要ですが巡視路なのかもしれません。
右岸より堤体下流面を見る
やった!夢にまで見たバットレスダムの堤体!
下流の橋より上流方向の導流部を見る
小さな橋が導流部に架けられており堤体まで行くことができます。こうして見ると導流部はかなりの勾配があるように見えます。
堤体下流の橋より下流方向を見る
下流はちょっと鬱蒼とした感じになっています。写真右手が歩いてきた道になります。
堤体下流面を見る
これ以上堤体まで進むのは立入禁止であることを誰かから聞き及んでいましたし、防犯カメラもあるため遠巻きに堤体を見学します。本音を言えば堤体を触ることができる位置まで行ってみたいですが、歴史的価値の高いダムでもありますので、ぜひとも公式見学会などの実施をお願いしたいところですね。
堤体内部が空洞で梁と柱を格子状に構成したのがバットレスダム最大の特徴です。恩原ダムは現存するバットレスダムとしては2番目に古く、発電専用ダムとしては最も古いダムとなります。歴史的風格を備えたダムではありますが、今見える姿は実は建設当時そのままではありません。
バットレスダムは内部を空洞化して柱と梁で堤体上流面の遮水壁または連続アーチによって水圧を支え、その水圧を基礎地盤に伝える構造で、物部長穂博士が構築した理論によって成り立っています。
バットレスダムの理論によって1920年代から建設され始めた当時はコンクリートが高価で、特に恩原ダムでは山奥であったため大量のコンクリートを使用する重力式コンクリートダムでは輸送コストもかかりますが、バットレスダムにすることでコンクリート使用量や輸送コストも抑えられるというメリットがありました。
ただその反面、コンクリートが薄く施工されるためクラックや表面剥離が発生しやすくなり、凍害が起きてしまう報告が海外からもたらされるようになります。それを受けて恩原ダムでは昭和27年(1952)に改修工事を行いコンクリートの柱と梁を太くしています。
そのため質実剛健な印象を受ける恩原ダムですが、華奢だったと思われる建設当時の堤体の姿も見てみたかったですね。
そんな歴史的価値の非常に高い恩原ダムでした。
恩原ダム諸元
所在地 | 岡山県苫田郡鏡野町上斎原 |
河川名 | 吉井川水系恩原川 |
目的 | P(発電) |
型式 | B(バットレスダム) |
堤高 | 24m |
堤頂長 | 93.6m |
堤体積 | 30,000㎥ |
流域面積 | 24.1km2(直接:9.3km2、間接:15km2) |
湛水面積 | 26ha |
総貯水容量 | 1,853,000㎥ |
有効貯水容量 | 1,752,000㎥ |
ダム事業者 | 中国電力株式会社 |
本体施工者 | ― |
着手年 | ― |
竣工年 | 1928年 |
ダム湖名 | 恩原湖(おんばらこ) |
その他の設備/所感
駐車場はありませんが左岸に広いスペースがあります。
駐車場 | × |
トイレ | × |
公園 | × |
PR展示館 | × |
釣り | ○(要遊漁料・ルアー禁止) |
展望台 | × |
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