所在地:岐阜県恵那市大井町字奥戸
取材日:2011/03/10(木)
東雲橋より下流側の堤体を見る
大井ダムは関西電力が所有する発電専用ダムで、完成は大正時代にまで遡るという歴史的にも由緒あるダムです。
大井ダム下流に位置する「東雲橋」
その大井ダム直下には東雲橋(しののめばし)というガーター橋・鋼ボーストリングトラス橋・鉄筋コンクリート桁橋の混成橋が架けられています。ただこの橋は道幅が狭く交互離合困難なため、バイパス道路とともに下流に新東雲橋(仮称)が架けられる予定です(2012年12月現在)。
今のところ新東雲橋が完成後のこの橋の行く末は何も聞いていませんが、この橋がなければ大井ダムをこうして真正面から見ることができなくなりますから、撤去はしてほしくないですね・・・。
中部電力奥戸発電所
東雲橋から大井ダムを見て右手に小さな水力発電所があります。写真の奥戸発電所は中部電力所有で取水は木曽川に合流する阿木川の上流で取水されるため、関西電力の大井ダムには直接的な関係はありません。
東雲橋より関西電力大井発電所と新大井発電所の建屋を見る
歴史と風格のある発電所の建屋です。左手前が大正時代の際の建屋で、右側が1983年(昭和58年)に新造された新大井発電所。
関西電力大井発電所建屋
いよいよ堤体へと向かいます。堤体へは天端レベルより少し高い位置(開閉所付近)に車で移動することも可能ですが、ここから見学用通路を歩いて行くのがおすすめです。ただ季節によっては草が覆い茂り、クモの巣が張り巡らされていることもあるので、その時は速やかに上まで車で移動しましょう(笑)
案内板
でも徒歩の場合はそこそこの斜面を登りますので、足腰が弱い方はおすすめしません。
タイムカプセルがあるらしい
なんと発電所の敷地内にタイムカプセルが埋められているそうです。2097年・・・私はおろか息子ですら生きているかどうか(笑)
見学通路
発電専用ダムでこうして見学用通路が整備されてるのは、ほんとうにありがたいですね。
近代化土木遺産・ダム湖百選であるなど、歴史的価値の高いダムでもありますから当然といえば当然でしょうか。
水圧鉄管
通路の先を進むと左手に大きな水圧鉄管が見えます。全体が入らないのでいつも撮影時に悩むポイントでもあります。このあたりまで来ると「ブーン」と発電所特有の音がしますね。
新大井発電所
さらに通路のつづら折り地点に来ると、その奥に新大井発電所の建屋が見えます。
大井発電所
少しずつ堤体へと近づきます。
大井発電所の建屋の全景が見えます。その奥には東雲橋、さらにその奥には新東雲橋の建設現場が見えます。
サージタンク上部
先ほどの通路の左手に見えた水圧鉄管上部にはサージタンクがあり、この位置でその上部が見えます。
右岸の見学用通路より下流側の堤体を見る
そして振り返ると大井ダムの堤体が。
奥渡神社
見学用通路の途中に奥渡神社という神社が祀られています。それよりも「熊出没!」の方に興味津々です。
取水口制水門扉脇より堤体を見る
ようやく天端レベルまで来ました。さっそく堤体にお近づきになりたいのですが、その前に右岸側にはいろいろと見ておくといいものがいっぱいあります。
普明照世間「大井発電所紀功碑」
まずこれ「大井発電所紀功碑」です。「普明照世間」と書かれています。「ふみょうせけんをてらす」と読みます。「あまねく世間を明るく照らす」という意味らしく、この水力発電事業が桃介にとっていかに重要だったかを示すものですね。福沢桃介が選び岩崎紀博が書いたものだそうです。
その下には発電所建設のあらましが旧字体で書かれています。こちらの原文と翻訳文はHisaさんの水力ドットコムに記載がありますので、こちらをご参照ください。
紀功碑の裏面は福澤桃介を始めとする工事関係者の肖像がレリーフとして埋め込まれています。
あと、この紀功碑のサイドにある貼石は実は・・・おっと他サイトでも言及を避けておられたので、ここもヒミツにしておきましょう(笑)
社長 福澤桃介
大同電力社長にして「日本の電力王」とも呼ばれた福澤桃介。大井ダムの建設にはかなり困難だったようですが、愛人というよりビジネスパートナーでもあった日本初の女優・マダム貞奴の援助もあり、建設を成功へと導きます。
次長 石川榮次郎
石川榮次郎は大井ダムの設計に携わっており、他にも笠置ダムや今渡ダム・兼山水力発電所・八百津発電所など多くの水力発電事業に携わっています。
副社長 増田次郎
増田次郎は元々は内務省に入省し、鉄道院総裁秘書官を務めた官僚で、大正4年には立憲同志会から衆議院議員になった人物です。その後は実業界に転身し、大井ダム建設時は大同電力の副社長でしたが、昭和3年に大同電力社長になり、昭和14年には日本発送電の初代総裁になるという人物です。
堰堤主任 友永染蔵
友永染蔵は鳥取市技師で美歎堰堤を設計した人物でもあります。大井ダムでは佐野藤次郎(後述)の指揮のもと、堰堤主任として赴任しています。
常務取締役 太田光熙
太田光熙(おおたみつひろ)は鉄道省の役人でしたが、京阪電気鉄道設立直後に入社し庶務課長に就任した人物です。その後、取締役、常務取締役を歴任し、1925年(大正14)年には同社社長に就任します。また、三重合同電気の社長も務めていました。
取締役支配人 村瀬末一
村瀬末一は木曽川開発の地元対策責任者として活躍し、後に大同電力の副社長となる人物です。士族出身の村瀬は維新で家禄を失い貧困の身でしたが、慶應義塾へ入塾したそうです。
卒業後は古河鉱業に入社、一時軍隊に身を投じるも、除隊後は慶應義塾の講師となります。その後東京電力へ入社。名古屋電灯常務取締役だった福澤桃介とは大正2年に出会ったのがきっかけで村瀬も名古屋電灯へと転身します。
木曽電気製鉄が設立されると、村瀬は支配人となり木曽川開発に携わります。大桑発電所・読書発電所・大井川発電所・落合発電所などで手腕を発揮し、その功を讃えて落合ダムの近くにある吊り橋は村瀬の名を取って村瀬橋と名付けられるなど、木曽川開発の重鎮だったことがうかがい知ることができます。
土木顧問 佐野藤次郎
ダム好きなら知らぬ者はいない(?)ほどの佐野藤次郎は名古屋出身の技師。近代の水道事業を語る上で欠かすことの出来ない人物です。建設に携わったダムは立ヶ畑ダム・布引五本松ダム・豊稔池ダム。実に魅力的なダムが多いのも頷けます。
所長 畠山好伸
大井ダムの2代目建設所長でもある畠山好伸は外気温の変化による堤体が伸縮するという論文を書いており、これを防ぐために「収縮継目」が導入されるようになりました。また、大井ダム建設計画にあたっては、アメリカに派遣され調査の任にあたっています。
電氣係主任 佐伯猛男
佐伯猛男については情報がありません・・・。
総務係主任 横山多賀治
横山多賀治は後に蘇原村(現在の各務原市蘇原)村長、各務用水土地改良区の初代理事長を務めた人物です。
外債引受人 クレランス・ジロン
クレランス・ジロン(ディロン)はアメリカの投資家でディロン・リード·アンド·カンパニーの社長でもありました。フランスのワイン「シャトー・オー・ブリオン」を蘇らせた人物としても知られます。また、後に元在仏アメリカ大使のC・ダグラス・ディロンを輩出します。
外債引受人 クリフトン・M・ミラー
すみません、情報がありませんでした。
工事顧問 F・M・シーボー
すみません、情報がありませんでした。
紀功碑の背面に埋め込まれたパネル
海外の力をかなり頼った事がわかりますね。
福澤桃介と川上貞奴
貴重な桃介と貞奴の写真が。その周りにもレリーフの人物と思われる大井ダム関係者が写っているようです。
福澤諭吉「独立自尊」の碑
こちらの碑文は桃介と勘違いされることが多いのですが、あの1万円札の福澤諭吉です。銘板には碑文の説明書きがありました。
「福沢諭吉先生は、明治の初期に水力発電による産業の興隆を広く提唱された。先生の養子福沢桃介氏はその薫陶を受け、木曽川に水路を開き、ダムを築き、発電を行い先生の理想を実現した。我が国創始のダム式発電所である大井発電所完成の記念に、先生の肖像と座右の銘「独立自尊」を刻み永久に顕彰したものです。」
つまり桃介は諭吉の一番弟子だったのかもしれませんね。
右岸ダムサイトより管理所方面を見る
以前はここから先に入ることが出来た記憶があるのですが、今は門が閉ざされてしまっています。ちなみに左側に銀色のポストがありますが、在庫があればこの中に関西電力オリジナルの二つ折りダムカードが入っているはずです。残念ながらこの時は在庫が切れていました(電話で確認までしてしまいました・・・)。
新大井水力発電所用取水口制水門扉(鋼製バイパスバルブ付ローラーゲート)
なんだかカッコいい名前のゲートです。
以下はこのスペック。
型式・門数:鋼製バイパスバルブ付ローラーゲート・1門(水密方式・後面四方水密・バルブΦ20cm2個)
純径間x純高:前面5.994m 後面5.712m x 5.35m
ゲート幅xゲート高:6.06m x 5.79m
最大設計水深:14.965m
巻上機出力:3.7KW
巻上速度:常時0.3m/min 急降下時6.0m/min
揚程:18.70m
扉体材質:SS41,SM41A
扉体重量:28.0t
製作年月:昭和56年12月
製作者名:株式会社丸島水門製作所
右岸より下流側の堤体を見る
大井ダムと発電所は「近畿の経済や中部のモノづくりを支えた中部山岳地域の電源開発の歩みを物語る近代化産業遺産群~木曽川の水力発電関連施設」として、平成19年11月30日に経済産業省より近代化産業遺産に認定されています。
右岸より下流側の堤体を見る
どの角度から見てもズラッと整然と並んだゲートがカッコイイです。
右岸より下流を見る
この風景は桃介も見ているのでしょうか。
右岸よりダム湖寄りに下流側の堤体を見る
ビシッと揃った姿がとても凛々しくてたまりません。
右岸より天端を見る
昭和の時代にゲートの改修工事があったため、写真右側(下流側)は大正時代の面影を感じることは難しいですが、左側(ダム湖側)は天端高欄の意匠などがとても大正時代の雰囲気を残しています。
天端よりダム湖を見る
ダム湖の向こうには恵那山を望むことができます。なお、大井ダム湖は(財)ダム水源地環境整備センターよりダム湖百選に認定されています。
天端より管理所を見る
右側は除塵機やら何やら機械があるようですが、ちょっとした工場のようになっています。
天端の照明
レトロなダムにはレトロな照明が似合います。
天端より下流を見る
この下流には笠置ダムがあり、丸山ダムがあります。
天端高欄
高欄の意匠もかなり独特です。他のダムにはない味のある雰囲気です。
左岸より天端を見る
堤頂長は275.8mとご覧のとおり長いです。
左岸より発電所を見る
左が旧来の大井発電所、右が新大井発電所。
左岸より天端を見る
大井ダムに限りませんが、ズラッと並ぶものは必ずこういうズラッと並ぶ的な写真が撮りたくなります(笑)
左岸より天端高欄を見る
これもずらっと並ぶ的な写真(笑)
天端よりダム湖側左岸を見る
ダム湖側の左岸は散策路になっています。
ダム湖側左岸より堤体を見る
関電ブラックのラジアルゲートがずらりと並んで壮観ですね。
左岸の遊歩道
先述の通り、左岸は遊歩道になっています。良い散歩コースだと思います。
開閉所
右岸に戻って坂道を登るとそこには開閉所が広がっています。この日はなにやら工事をしていました。
見学用通路より下流を見る
再び下流方面の見学用通路に戻ります。かなり長い時間滞在していたようで、すっかり木曽川の水面に陽光が反射して黄昏色に輝いています。
堤体を見る
途中堤体を最大望遠で見てみます。大正時代の古いダムですが、これがまた良い味を出しています。銅褐色のものは骨材の中の鉄が染み出しているようです。
下流左岸側の構造物を見る
複雑な形をした構造物です。フーチングみたいなものでしょうか。ずっと見ていても飽きない形状をしています。
サージタンク上部を見る
見学用通路に戻ります。最初に紹介した水圧鉄管の上部にサージタンクがありますが、ここも関電ブラックですね(笑)
サージタンクからの余水吐?
最初の見学用通路入口の手前左手奥にサージタンク裏から伸びる謎の構造物があります。余水吐のようなものでしょうか。長らく水が流れたような後はありませんが、すぐ脇の和田川に流れるような感じで造られています。
何はともあれ、大井ダムは見所の多いダムですが、ぜひ大正ロマンを感じて見ませんか?桃介や貞奴の息吹もぜひ感じてみてください。
大井ダム諸元
河川名 | 木曽川水系木曽川 |
目的 | 発電 |
型式 | 重力式コンクリートダム |
堤高 | 53.4m |
堤頂長 | 275.8m |
堤体積 | 153,000m3 |
流域面積 | 2,082.3km2 ( 直接:2,055.3km2 間接:27km2 ) |
湛水面積 | 141ha |
総貯水容量 | 29,400,000m3 |
有効貯水容量 | 9,250,000m3 |
ダム事業者 | 関西電力(株) |
本体施工者 | 大同電力直営 |
着手年 | 1922年 |
竣工年 | 1924年 |
その他の設備/所感
駐車場は右岸高台の開閉所の辺りと、下流の東雲橋すぐ脇にあります。トイレは無かったように思います。
駐車場 | ○ |
トイレ | × |
公園 | ○ |
PR展示館 | × |
釣り | × |
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